「EVERY BREATH YOU TAKE」
     written by みさやんさま







マドレーヌ寺院、ジョー


<3>


MADELEINE メトロ8号線を降りて、マドレーヌ寺院前へと着いたジョーは、街並みが雨のベールに包まれているのを、眺めていた。
ふと、向かいの建物の屋根に視線を移すと、そこには一羽の傷ついた鳩が、雨の中、羽を休めていた。
雨は体温を奪い、やがて命を奪うはずだが、その場所から動こうとはしない鳩は、まるで自分の死期に気がついているかのようである。

この辺りは、オペラ座もあり人気の観光地なのだが、平日の今日は、人も通りを走る車も少ない。
そんな中、近くのマルシェから、赤い傘を差した小さな女の子が、一人でこちらに向かって歩いて来ていた。
もしかするとこの付近に住んでおり、慣れた道なのかもしれないが、幼いのに一人で歩いている事を心配したジョーは、 周囲に危険な影がないのを無意識に確認していた。危険はないようだ。
待ち合わせの時間よりも多少は早く目的地に着いているジョーは、それと同時に時間が潰せそうな場所を周囲に探すが、 適当な場所は無いようである。
ジョーの背後には、コリント様式の太い教会の柱が空へと伸びていた。
マドレーヌ寺院。コンコルド広場の北側ある、52本の柱に囲まれたカトリックの教会である。
ジョーは、「最後の審判」のレリーフを見上げた。
天国と地獄。中央のイエス・キリストが、世界の終わりに死者に裁きをしているというものだ。
教会の入口には、「十戒」をテーマとしたレリーフがあった。
殺してはならない
十の言葉のうちの一つである。それは命を大切にするという事。
聖書の中の難しい言葉を、簡単に分かりやすく子供達に教えた育ての親、神父の、穏やかな微笑みを思い出す。
ジョーは教会の扉の前で立ち止まった。

「Oups,pardon!(おっと、すまない!)」
「Excusrz-moi!(すいません!!)」

立ち止まった拍子に、後ろから来た一人の男性とぶつかりそうになったジョーは、その男性に謝った。

「俺なら大丈夫。で、…入らないのかい?」

亜麻色の髪をした短髪の男性は、立ち止まったジョーに、フランス語でそう問いかけてきた。

「そう、ですね…」
「君、観光客かい?だったら、寺院の中は見とくべきだよ。…って、余計なお節介か…」
「あの、…僕なら、観光じゃありませんから。これから待ち合わせしてて…」
「そう、待ち合わせか。ところでフランス語、上手いなあ!!」
「…どうも」

男性は、発音の良いフランス語を話すジョーを、ブルーの瞳でじっと見る。

「俺もなんだ、待ち合わせ」

教会周囲を見渡した男性は、向かいの通りにいる赤い傘の女の子を指差す。
そして、
「ああ、いたいた!あ〜あ、ママが待ち切れなくて先に出てきたな…」
と、嬉しそうに目を細めた。

(あの子…、さっきマルシェから出てきた子だ)と、ジョーは思う。

「俺の娘なんだけどね」 

男性はジョーの方をチラリと見ると、言葉を付け加える。
傘と同じ色の長靴を履いているその女の子は、好奇心が邪魔して中々教会に辿りつかない。
数歩歩いたかと思えば立ち止まり、雑貨屋のディスプレイを眺めている。
しばらくして、また歩き出したと思えば、今度は歩道の水溜りを見つけ、歩くのを止めると、ピチャピチャと足踏みをして遊んでいる。

「あーっ!買ったばかりの服、汚れるって…」

ジョーは、自分よりは年上ではあるものの、恐らくは実年齢よりは若く見えるその男性の横顔を見ていた。

「仕方ない…。パパが迎えに行くとするか!」

その男性は、独り言のようにそう言うと、黒い傘を広げ、教会の階段を慣れた足取りでトントンと足早に降りて、雨の空の下を、女の子の方へ向かい歩いて行った。
その時、一台のワゴン車が男性の前に停車し、彼を呼び止めた。
教会の入り口に立つジョーは、なんとなくその光景を見ていた。



本編からSIDE STORYへ…





ワゴン車がまた走り出し、話し終えた男性が女の子の方へと向かう。

ジョーは、しばらくその場に立ち止まって、男性と女の子の距離が近付くのを見ていたが、やがて聖堂の方へと向くと、レリーフの前を通り過ぎた。

(今の僕が、この領域に入るのは許されないのかもしれない、だけど、少しだけで良いから、どうか祈らせて下さい)

ジョーは、寺院の中へと入ると、パイプオルガンが鳴り響く薄暗い聖堂の中へと入った。
高い天井から下がるオレンジ色の照明が、教会内部をほのかに照らしている。
ここでは外の世界の音が消え、静かな空気が彼を取り巻く。
ジョーは、中央の翼廊を聖女マドレーヌに向かって進みはじめた。

彼の靴音だけがパイプオルガンの音に紛れ、静寂の中に響く。
中は無料で入れる事もあって、観光客らしき人々や、地元の住民らしき人々が数人、すでに木製の長椅子に座っていた。
瞼を閉じて静かに体を休めて座っている老人、聖書らしき本を手に持った若い女性。
年老いたカップルが肩を寄せ合い、静かにポツリポツリと何か会話している様子を横目で見ながら彼は、祭壇へと一直線に続く翼廊を、まるでここを歩く事に対し、神の許しを求めているように、一歩一歩ゆっくりと歩く。

そして最前列の長椅子まで来るとそこに腰を下ろした。

目の前には聖女マドレーヌ。
数少ない天窓からは、グレーの空が僅かな淡い光を礼拝堂に届けていた。
寺院の空、三つのキュポラ(丸天井)には華美な装飾は一切ない。
礼拝堂の中のロウソクの灯りが、微風でゆらゆらと揺れる…。
ジョーは、教会独特の雰囲気には子供の頃から慣れている。
彼を拘束しない時間が流れるなか、ジョーは両手を見つめていた。

『君の行いのすべては神様が見ている…』

育ての親、神父の言葉がジョーの脳裏に響く。
ジョーは、目の前の聖女を見上げた。

(…神様、どうか命を落したBGの兵士達に…安らかな眠りを与えてください…。今は、こうやって祈る事しか出来ないから…)

戦争なんてしたくなかった。
一つ終われば、また一つ始まる。戦争はいつまで続くのだろうか。
ジョーにとっては日常であるBGとの戦闘の日々だが、教会の静かな空気の中にいると、それがまるで嘘のように感じられた。

しばらくしてジョーは、自分の背後に人が歩いてくる気配で振り返った。
振り向いた先には、先程、この教会の前で見掛けた女の子が一人で立っていた。
手には、雨の雫がついた赤い傘、そしてもう片方の手には、ピンクと白の薔薇の花を一本ずつ持っていた。
女の子は、手に持っていた白い薔薇を一本ジョーに差し出した。
そして、ジョーにだけ聞こえるような小声で、話しかけて来た。

「白い方、アナタにあげるわ」

「…僕に?」
「ええ」
「君の…大事な薔薇なんじゃないの?」

ジョーは女の子に軽く微笑むと、そのキラキラとした澄んだ瞳を見てそう答えた。

「うん、大事よ。でも…、あなた、淋しそうな顔してるもの。だから、お花をあげる!」

女の子は、ジョーを真っ直ぐに見て微笑みかけている。
その天使の微笑みになんとなく癒されたジョーは、彼女に微笑みを返していた。

「僕、淋しそうだった?…これでも一応、これから会う人がいるんだけどね」

「ふーん。だったら、ピンクの方もあげるわ。一本だとその人と喧嘩になるかもしれないし…。はい、この薔薇はその人のね。
それに薔薇だって一本より二本の方が幸せかもしれないわ…」

“おませ”な事を言いながら、その女の子はさらにもう一本の薔薇をジョーの前に差し出すと、二本の薔薇越しにニッコリと微笑んだ。

「君はとても優しいんだね。…うん、喧嘩しないようにするからね」
ジョーは、子供に返事を合わせる。
「そうよ,、仲良くね。では、はい。もう一本の薔薇もどうぞ!」

「あ、でも、これを僕が貰ったら、君のが無くなっちゃうよ?」

「大丈夫。この二本はオマケなの。…えっとね、大きい(花束)のはパパが持ってるわ。それをお家に飾るから、わたしのはね、 無くならないの」

「そう…、ありがとう!」
ジョーは、目の前の天使から、薔薇の花を二本受け取った。

「どう致しまして、よ」
誰かに何かをして、御礼を言われるのが嬉しいのだろう。女の子は、はにかんだように微笑んだ。

「ところで…、“パパ”は?」
「あそこよ」

女の子が指差す方には、入口で話した先程の男性が、出口付近で一人の女性と共に、子供の“小さなおつかい”の帰りを待っていた。
ジョーは、薔薇の花のお礼を込めて、その二人に軽く会釈した。

「ねえ、パパを知ってるの?」
「ん?さっき少しだけお話したんだ」
「ふーん、そうなの。…あ、パパが呼んでいるわ、じゃあね、お兄さん」
「うん、バイバイ、薔薇、ありがとう!」

「お友達と、一本ずつ仲良く分けなきゃ駄目よ」
「もちろん!」

女の子は、両親の方へ足早に歩いて行き、そして三人は手を繋いで、パイプオルガンの下の出口から外へ出て行った。 外へと続くその出口から、暗い礼拝堂に淡い光が差し込んでいる。

ジョーは、腕時計を見た。
丁度、フランソワーズとの待ち合わせの時間5分前になっている。

ジョーは、教会の長椅子から立ち上がると、自分もまたオルガンの下へ向かい、グレーの空の下へと出て行った。





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