「EVERY BREATH YOU TAKE」
     written by みさやんさま






<4>



外は、傘を差す程でもない小雨のままである。

マドレーヌ広場周辺には、食材店や、チョコレート専門店、ホテル等、数々の店が軒を連ねている。
ジョーは、その中から、赤と黒のストライプが印象的な高級食材店、HEDIARD(エディアール)へと向かう。
グレー色の曇り空の下、クリスマスを意識した各店の色とりどりのウィンドウディスプレイが視界に飛び込んでくる。
路上では、葉が落ちた木々に、クリスマスイルミネーションの飾り付けを始めようとしている業者の姿も見えている。
秋冬の寒い季節、夕刻5時頃には真っ暗になるパリの街は、今夜辺りから、無数の輝きで飾られるのかもしれない。
すでにジョーの視線は、数メートル先に見えるエディアールの店の前に、フランソワーズの姿がないかを探していた。
だんだんと店の入り口に近付くが、まだフランソワーズの姿はそこには無い。

HEDIARDのウィンドウディスプレイは、紅茶の缶等が綺麗に並んでおり、店先には数種のフルーツが並び、甘い香りを路上に運んでいた。
店のオレンジ色の照明は、雨の街に淡く溶け込んで、店の前に陽だまりのような空間を作っている。
ジョーは、待ち合わせ場所である店の出入り口の傍で数分間、フランソワーズを待っていたのだが、婦人が店の前のフルーツを手に取り、店内へ入るのと同時に、やがて自分もその夫人の後ろから店内へと入った。

外観も、内観も、女性が好きそうな洒落た店である。
入り口付近には、菓子類が置かれており、店の奥にはワイン、左にはケーキやマカロンがずらりと並んだショーケース、そしてその奥には紅茶が売られていた。
ジョーは、甘い香りのする店内を見渡し、フランソワーズの姿を探した。
そして、チョコーレート売り場で、フランソワーズの後姿を見つけたジョーは、真っ直ぐに彼女の元へと向かった。


ジョー、フランソワーズ


「フランソワーズ」

ジョーの呼びかけに、フランソワーズが振り向き、ジョーを見つけると笑顔で応えた。
今日、初めて見た彼女の表情が笑顔だった事に、ジョーは一瞬で安堵していた。

「ジョー」
「良い店だね、実はもっと入りにくい店なのかと思ってて…」

ジョーにとって食材店と言えば、普段から利用するようなスーパーマーケットか、もしくはコンビニのような場所である。
正直、このような高級食材店に入ったのは、これが初めてだった。

「…あ!!ごめんなさい。待ち合わせ場所は店の前だったのに」

フランソワーズは、慌てて時刻を確認すると、綺麗な角度で頭を下げ、そして申し訳なさそうに顔を上げた。

「いいよ、時間がないわけじゃないし。それに、待ち合わせの場所もすぐに分かったから。まだゆっくり見ていたら?買い物、途中だろ?」
「これを買ったら、買い物は終わりなの」

そう言いながらフランソワーズは、チョコレートの棚へ手を伸ばすと、Orangettes(オランジェット)と書かれたチョコレートの箱を三つ、買い物籠に入れた。

「オレンジのチョコ?」
「オレンジの皮をビターチョコで包んであるの。帰ったら食べてみる?」
「うん」
「この二つは、管理人の御婦人と、それから、昨日お会いしたマリアさんに渡そうと思うの」
「マリア医師に?」
「彼女もチョコレートがお好きらしいから」
「ふーん、女性って甘い物が好きな人が多いよね」
「そうね。あ…、このお店ね、フルーツゼリーも美味しいのよ!」

フランソワーズは、思い出したようにジュエリーのように色とりどりのゼリーが並ぶショーケースの方へ視線を移した。

「だったら、フルーツゼリーもお土産にしたら?きっとマリアさんも喜ぶよ」

ジョーは、ゼリーのショーケースを見ている、フランソワーズにそう答えた。

「そうね、ちょっと待ってて。選んでくるわ」

マリア・ローラン女医。
年齢は27歳。産婦人科の医師である。
彼女の父、ビル・ローラン博士は、ギルモア博士の古くからの友人である。
普段、ビル・ローラン博士が専門で行っている研究は、病気等で痛んだ臓器や、手足を本人のDNA遺伝子からもう一度再生させる再生医療の分野である。

ビル博士は、研究関係以外の外出はほとんどしない方で、ローラン家から近いマリア・ローラン病院にも顔を出す事は全く無い。
昨日は、ビル博士の方は、パリの大学の研究室から急な連絡があったとのことで、結局、会えたのはマリア医師一人だけであった。
つまり昨日、ジョー達は、ビル博士とは面会が出来なかったのである。
ジョー達の『任務』は、ローラン親子に会い、博士から預かった《試験管》を手渡す事であり、それは昨日、無事終了していたのだが、ビル博士にも会っておいた方が良いとの判断で、今日夕方から予定が開いていたビル博士と、これから自宅で会う予定なのである。
昨日出掛けた道中を再び車で移動、という事もあって、時間の計算上ではまだまだ余裕があった。

「ストロベリー、ブルーベリー、オレンジ、チェリー、それから…」

ジョーは、店員にゼリーの注文をするフランソワーズの艶のある亜麻色の髪をなんとなく見ながら、昨日会った、マリア・ローランも、フランソワーズと同じ髪の色をした綺麗な女性だった事を思い出していた。
やがてゼリーを並べた赤い箱を店員から渡されたフランソワーズは、「カゴの中の物、買ってくるわ」と、ジョーに話しかけた。

「じゃあ、出口で待ってるね」

ジョーは、会計を済ませるフランソワーズを店先で待っていた。
数分後、店の袋を手に下げて、ジョーの方へと歩いて来たフランソワーズは、「ジョーは、甘いもの大丈夫だったかしら?一緒にアイスクリームはいかが?」と、ジョーに話しかけた。

「実は、甘いお菓子はあんまりね…」
「…そう、残念だわ。私、一人で食べるのもね…」
「え?…あ、やっぱり食べるよ!」
「良いの?でも苦手なんじゃ…」
「んー、そういえば丁度、喉が渇いていたんだった」
「そう?だったら丁度良かったわ。ここのお店のアイスは食材の味が生かされていて、きっと美味しいわよ」

外は寒いが、店の中は暖房が効いていて、ジョーにとっては少し暑さを感じるくらいだった。
甘い物は苦手だったが、フランソワーズの誘いに付き合うのも悪くない。

アイスクリーム売り場には、ビターチョコ、ライム、ラズベリー、ココナッツ、バニラなど、数種類のアイスクリームがケースに並んでいた。

「僕はラムレーズン」
「私は…、ラズベリーにするわ」

ジョーは店員に代金を渡すと、隣にいるフランソワーズへ手を差し出した。

「荷物、持とうか?」
「重くないから大丈夫よ」
「そう?」
「ジョー、気を使わなくて良いわよ」
「あ、いや、そんな訳じゃ」
「それに私、こうみえても力持ちだから。でもジェロニモ程ではないけど…」
「確かにジェロニモには敵わないな…」
「ふふふ」
「あれ?もしかして今の笑うとこ?」
「さあね」

ジョーとフランソワーズは、店内のイートインスペースに移動すると、空いている席に座った。
フランソワーズが手に持つ、甘酸っぱいラズベリーアイスの香りが辺りに漂う。
店のウィンドウガラスには、急に強くなった雨が次々と雨粒を残し、ザーザーという音を立てていた。
(※パリのHEDIARD店内でアイスクリームの販売はありますが、イートインスペースの詳細は不明ですので、上記、事実と相違します)

「雨、強くなっちゃったね」
「うん、そうね…」

「そういえばさ、アイスクリーム食べるの久しぶりだよ」
「ふふ、私もよ」

フランソワーズは、そう言いながら微笑んだ。
少し溶けかけたラムレーズンの効いたバニラの味と香りが、ジョーの口の中に広がっていた。
今朝の朝食の美味しさ、食べ物の味を楽しむ余裕、誰かと食事をする楽しみと幸福感。
通常、人間が食べる食物を摂取しなくても生き延びられる今のジョーの身体が、いつの間にか空腹を満たす感覚を忘れてしまっていたのを取り戻せたのは、フランソワーズのお陰である。

「フランソワーズ」
「…ん?」
「ありがとう」
「どうしたの?急に…」
「フランソワーズと食事すると、何でも美味しいんだ。それに、なんて言うか…、気持ちが温かくなる」
「…ジョー」

「あ!今朝の朝食もありがとう。とても美味しかったよ」
「…今朝は、ジョーには何も知らせずに出掛けてしまって、ごめんなさい。共に行動してるのに、こんなのはダメね」

「パリは、君が生まれ育った街だから、何か事情があったのかもしれない、そう思っていたから、謝らないで。…それに、君が出て行く音に気がつかずに寝ていた僕の方がダメだったんだから。009としてはね…」

「でも、四六時中、009でいる必要はないもの」
「…まあね」
「それに…、ジョーを起こしたくはなかったの。…実はジェットに、ジョーが、この身体になってから、安心して眠れなかった事、聞いていたから」
「まあ、それは僕だけじゃないと思うんだけどね…」
「そうね、気分が落ち着かない…、そんな夜が多いわね…」
「…うん」
「…それで、今朝は随分早くから外出してたようだけど、用事は終わった?もしまだなら、時間もあるし、大丈夫だよ」
「ええ、個人的な用事はすべて終わったわ」
「そう」

少し間が空いて、再びフランソワーズは話し出す。

「…実はね、会いたい人がいたの。それで早起きして、出掛けたんだけど…、でも、会えなかった。
手がかりは名前と、思い出だけだったから、最初から無理なのは分かっていたんだけど…。それに生きているかも分からないし…」

フランソワーズは、そう言いながら弱く微笑み、やがて窓の外へと視線を移した。

「…会いたい人って、誰なの?」

「…あ、そういえば、ジョーには、あまり話した事がなかったわね。私、一つ上に兄さんがいるの」
「そっか、お兄さん、一つ上だったんだね」
「一つしか違わないのにね、いつも子供扱いするのよ」

「きっと、君が大切で、それで君の事が心配だったから…、なんだろうね」
「…とても優しい兄だったわ」

フランソワーズは懐かしそうに話す。
窓の外では、冷たい雨から身を守るように傘を差し、足早に歩く人々の姿が見えていた。

「…お兄さんの名前は?」
「ジャン・アルヌール…」

「人が集まる場所とか、大丈夫な人?」
「ん?…ええ、そうね。どちらかといえば、アウトドア系、家でじっとしていないタイプかも…」

「たくさんの人が出掛けているのに、たった一人の会いたい人に出会える偶然って、とても低いけど、でも、外に出掛けられる状態である限り、その可能性はゼロではないから、あとは僅かでも手がかりがあれば良いんだけどな…」

「手がかり…」

昔、兄と暮らしていたアパルトマンはすでに様子が変わっており、周囲に知った顔もなく、そしてそこに兄の存在は無かった。
郵便局へ移転届けなどが出ていないかを問い合わせたのだが、自分が兄の身内であることを証明する物を何も持っていないフランソワーズは、個人情報に関する事には応じられないと門前払いである。
身分証明類に関しての手続きは、今の自分の立場では容易ではない。
それに、BGの手によって、フランスに国籍があるはずの自分の存在すら消されてしまっている可能性も高い。
今回は、パリへのパスポートも含め、飛行機での移動に関しては、博士とイワンの手に頼っているために、空港等で怪しまれる事はなかったのだが……。

「残念だけど…、手がかりはないの。そして、捜索を公共の機関に頼るのは危険も多いし…」

「…そうだね。手がかりがあるとすれば、名前と、それから君の記憶だけか…」
「ジョー、私には、これからも兄を探す機会はあるわ。…そのうち、きっと、そのうち会えると思うの。…最も何も保障はないのだけれど…」

「だったら、一緒に探すよ。一人よりも二人で探したほうが良いと思うんだ」
「…でも、ジョー、それは…」

「私だけの問題だから、って考えてる?」
「…うん」

「君の役に立ちたいんだ。それに僕は、どうしたって家族には会えないけど、君はそうじゃない。だから尚更っていうか…、でも、もしも君が迷惑だったら…」
「迷惑だなんて、そんな!」

「…だったら決まりだね。僕も協力する」

窓の外では、通りを歩く人々の数が増え、色とりどりの傘がグレーの雨の街に華やかな色を添えていた。





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