written by みさやんさま




Everything i do is for you.
 〜闇に架ける虹〜



<9>



極寒の澄んだ冷気は、無気味なほどに静寂の世界を作り出していた。

(…ここは?)

雪上で目を覚ました009の視界に、無数の「光」が飛び込んできた。
いまだぼんやりとした意識の中で、009はそれらを見つめる。
程なくして、不明瞭だった視界はクリアになり、その光は、夜空に輝く星々だったことに気がついた009は、腕の中の重みが消えたことで、はっきりと意識を取り戻した。

「フランソワーズ?!」

月明かりだけが照らす、白一色の世界で、いったい、どれくらいの時間、ここに倒れていたのだろう。
可能な限り周囲を見渡す009だが、003らしき姿は、どこにも見えない。

『フランソワーズ?!聞こえる?聞こえたら、なんでも良いから、返事をしてくれ!』

―――――。
声と脳内無線で、何度も003を呼び叫ぶ009だが、003からの反応は無かった。

記憶を辿りながら、山頂から自分達は、どこまで流されてしまったのだろう?と考えていた。

(あの時――。しっかりとこの腕に抱いていたはずだった、なのに!)

009は、雪崩の中で意識を失ったらしい自分を責めた。

雪ばかりが続く広大な大地。
ただ、闇雲に探し回っても時間ばかりを消耗する。009は、ポイントを区切って捜索を開始した。
彼が身に着けている物で、必要の無い物といえば、故障した無線機くらい―。
009は、それを砕き、雪上での目印とするために、探した終えた場所へと次々に落としていった。

ここに流される前に目安をつけたBGの基地らしき方角も、今は分からなくなってしまっている。
ドルフィン号へ連絡を取るために、場合によっては、BGの施設を利用しようと思っていた009だが、このままではそれさえも無理である。だが、一刻も早く003を探し、そしてドルフィン号と合流しなければ!

白銀の世界で、黄色いマフラーと赤い防護服は目立つはずだが、月明りと星の輝きだけが頼りの夜、捜索は困難した。

やがて、雲が月明かりを隠し始めた頃、009は一本の木を捉えた。
009は、その“生命”に引き寄せられる様に、急いで木に駆け寄った。
その木へと続く足元に、雪の模様が出来ている。

雪崩の跡だ。

その雪の流れは、一本の木を通り過ぎた辺りで途絶えていた。
ここが、雪崩の終着地点なのかもしれない。

急いで駆け寄った009の視界に、雪の上の赤い防護服が見えていた。
003であることに間違い無い。

「フランソワーズ!」

そこに003がいたのは、奇跡だとすら感じた。
おそらく、この辺りで雪崩の勢いが弱まったのだろう。
彼女の身体ごと、この木が受け止めたらしく、その木の下に横たわっていた003は、下半身が雪に埋まった状態で発見された。



遭難




「フランソワーズ!!…よかった!」

凍った雪の塊を何度も拳で割りながら、003の身体を雪中から抱き起こした009は、何度も彼女の名前を呼び続けた。だが、冷たくなった003の身体は、ぴくりとも動かない。
その腕は、力無くだらりと垂れ下がったままだった。

「フランソ…ワーズ?」

美しい色だった肌には、血色が消えていた。

「そんな…」

009は、003の防護服の首筋を軽く緩めると、中に指を入れ、動脈の動きを確認した。
そして、血色のない003の顔に、自分の顔をそっと近付けた。

生きている―。

顔を近づけないと分からないくらいに、弱く吐かれる息が、空気中で微かに白くなっていた。
009は、彼女の生命がこの世に繋がれていたことに、心から安堵した。
003の身体を抱き上げた009は、その場に立ち上がった。

!!!!!―その瞬間である。
009の足に激痛が走った。

「くっ!!」

突然の激痛に、009は、思わずその場に膝をついていた。
スノーに撃たれた足から、人工血液が流れ出ていたのだ。
それが、マイナスの世界での気温が影響し、防護服にべっとりと凍り付いていた。

戦闘、その後の雪崩、そして003の捜索、息つく暇もない程の急速な時間の流れの中、いったい、どの程度の血液が、この身体から流れ出てしまったのか…。
今になって激痛が走ったのは、003が生きていた事実に、一瞬気の緩みを見せた身体からの危険信号だ。
すでに表面上の出血は止まっているようだが、内部はよく分からず、凍りついた部分を取り剥がすわけにはいかなかった。009は、腕に巻かれたマフラーを外すと、それを包帯の代わりにし、足の傷口を保護した。

月を隠した雲からは、無情にも雪が舞っていた。
このまま、夜間ずっと降り続けるだろう。
とにかく、冷たい風を防げるような場所を探さなくてはいけない。
エネルギーのあるうちに、この場所よりも木々の多い場所へと移動すべきだった。
移動するリスクはあるが、再び雪崩が起きる可能性のある場所で、いつまでも留まる訳にはいかない。
009は、003を背中に背負うと、再び移動を始めた。

一歩踏み出すたびに、009の足の傷口は嫌な音を立てていた。
正確には音をたてているかのように軋んだのだが、それは身体の奥の悲鳴であり、関節が故障しているのは、確実のようだ。
一刻も早く先を急ぎたい009の意思と反して、身体的には余裕が無いようである。
009は、数歩だけ歩いたところで、彼女の身体をそっと下ろした。
そして003の首からマフラーを外すと、続けて自分の首のマフラーも外した。
009は、結んで長くなった二本のマフラーで、003の身体を自分の背中に固定するように背負った。
力無い003の身体は、気を抜くと雪上へと滑り落ちてしまう。
だが、これで移動速度を速めても大丈夫なはずだ。

戦闘による消耗で、加速装置が使用出来ない009は、以降、滑り落ちるような速度で走り出した。
背中では、静かだった003の呼吸が荒くなっていた。
目は覚めていないが、意識は取り戻しているのだろう。
ハァハァという小さい呼吸を繰り返している。
肺の中へと、冷たく刺し込むような冷気が、呼吸する度に彼女を苦しめているようだった。

「フランソワーズ、頑張ってくれ!」

009は、虚ろな意識の003に向かって、一人呟くように話し掛けた。



山肌を滑るように移動する009の視界に、やがて少しずつ木々が増え初めた。
そして、その木々の中に、古い山小屋らしき建物が見つかった。

背の高い木々が周囲を囲むその山小屋は、一見すると見落としがちである。
風を避け、一時でも身を休めるためには、悪い条件ではなかったため、009は、その山小屋へと向かった。

深夜過ぎ、気温はさらに下がり、山の天気は一瞬で変化した。

舞っているように降っていた雪は、瞬く間に霙混じりの吹雪となった。そして、山小屋を前にする009に、容赦なく襲いかかった。ビュービューと強風が吹き荒れ、地上の雪までも空中へと舞い上げる凄さ。
途端に一メートル先の視界さえも不明瞭にした。
サイボーグといえども、このままでは山小屋を見失ってしまいそうな猛吹雪である。

「あと、少しの距離なんだ!!」

思わず奥歯を噛みしめた009だが、やはり加速装置は作動しない。

009は、深雪で足場の悪い大地を蹴り上げるようにして、力一杯、走り出した。
ビリビリとした違和感が、何度も足の内部関節を走りぬけるのが分かる。
損傷し、疲労困憊を極めた足は、何度も何度も雪に足を取られた。

思うように速度が出ない。

“サイボーグ009”にとっては、すぐそこまでの距離のはずなのだが、今の009にとっては、かなりの体力を要した。

自分一人ではない。
背中には、大切な仲間の命を預かっている。
こんなとこで、倒れるわけにはいかない。そんな思いが何度も気持ちの中を横切った。

「フランソワーズ、この先に山小屋があるんだ。もうちょっと、だから……」

009は、山小屋へと必死に前進した。

身体に突き刺さるように吹きつける雪氷、それは、009と003の体温をどんどん奪い、一時でも足を止めると、このまま雪の中に埋もれて動けなくなりそうな勢いである。
足の故障で、思うように移動が出来ないということもあるが、009はこの時、山の雪を初めて怖いものだと感じた。

自然に勝る物は、この世に存在しない。
並外れた技術を持ってして創造されたサイボーグでさえ、それを越えることは出来ないのだ。





辿り着いた山小屋の枠組みは、幸運にも頑丈な作りのようだった。
009は、ドアを開けた。
一部屋のみの埃っぽい室内は、壊れた家具が散乱しており、もう何年もこの部屋が外に向かって解放されていない事を物語る、湿っぽい嫌な臭いと空気が漂っていた。

009の背後から、斜めに吹く風と共に、霙混じりの雪が部屋へと入ってきていた。
強風は、一瞬で室内の空気を入れ替えた。
ドアを閉めた009は、明り取りのために、床に落ちていた一本の薪に、スーパー・ガンの出力を最小にして火をともした。そしてそれを、室内へとかざす。

汚れた暖炉の横には、虫の食った穴の開いた薪がひとくくりにされていた。
他には、古ぼけた毛布が一枚と、薄汚れたベージュのソファーがある。
009は、手に持っていた薪を、暖炉にそのまま放り込んだ。暖炉の中の薪に火が燃え移り、狭い室内にオレンジ色の明かりが広がった。
濡れたマフラーを解き、背中の003をソファーへとそっと下ろした009は、彼女の身体を毛布で包み込み、身体を横に倒して寝かせた。003の顔色は悪い。009は、普段は美しい澄んだ肌であるその頬に、そっと手で触れた。

「…熱?」

冷たいだろうと予想した、003の頬は、驚くほどに熱かった。

背中に背負って移動していた時、ハァハァと003の呼吸が荒かったのは、熱のせいでもあるらしい。
立ち上がった009は、室内をさらに暖めるために薪を暖炉に運んだ。
赤々と燃え上がった薪は、パチパチと音を立て始めた。
揺れる炎と横になっている003、そして、自分の影が壁に映っている。
009は、用心のために、窓のカーテンと、その窓に設置してある、風除けの木の扉をしっかりと閉めた。
これで明かりは、外には漏れないはずである。
煙突から外へ流れ出る煙は、この猛吹雪と夜が隠してくれるだろう…。
隙間風も僅かになり、徐々に暖かくなった室内で、003は徐々にではあるが、頬の血色を取り戻しているかのように思えた。
やがて、003の瞼が動き始めたことに気がついた009は、彼女に話しかけた。

「…フランソワーズ、聞こえる?」

しばらくして、「…ジョー?…」と、返事が返ってきた。

彼女の声を聞いたのが、随分と久しぶりに思えた瞬間だった。
ちゃんと返事が返ってきた事に安心した009は、
「抗生剤、持ってる?」
と、すぐさま003に問いかけた。

「僕のは、戦闘中にどこかに行ってしまったけど、君は…?」
「……あると…思う」
「かなり、熱があるみたいだ。すぐに飲んだ方がいい」

「…熱?」
003は、身体を動かそうとして、表情を歪めた。

「…だ…め…」
003は、僅かに瞳を開けた。

「動けない?」
「うん…」

こういう時のためにギルモアは、彼等に携帯用のピルケースを渡していた。
過去、009がこれを使用したことは一度も無かったのだが、それは、009は機械の部分が多いからである。
009は、滅多に熱を出すこともなく、そして細菌に侵される可能性も少ない。
だが、生身の部分が多い003の場合は別だった。
戦闘で疲労し、この寒さで冷えた身体、003の身体にかかっている負担は相当なものだろう。
会話出来るまでに意識が戻った今、一刻も早く彼女は薬を飲むべきだった。

「…ここ…に…」

003は、防護服の首元へと手を入れた。
そして、震える手で、胸元からカプセルのついたシルバーの鎖を取り出した。
それを受け取った009は、中から錠剤を一つ取り出した。

「飲める?」
その問いに、フランワーズは静かに頷いた。

「分かった。ちょっと、待ってて。今、水を持って来るから」
「…ジョー…」

009は、テーブルに置いてあった、割れていない古いマグカップを二つ手に持つと、外に出た。
外の新雪で、カップが綺麗になるまで洗った009は、そのカップの中に新雪を入れ室内へと戻り、それを暖炉の前に置いた。

「しばらくしたら、水になるから…」
「…ジョー…、……わたし…、足手まといで…ごめんなさい…」

003は、朦朧とした瞳で、暖炉の前の009の姿を見ていた。

「僕は、充分に君に救われてる。そんなこと…、思っちゃ駄目だよ?」

彼女の方へと振り向いた009が、そう話した。
マグカップの雪が水になったのを確認した009は、それを持ってソファーの傍に膝を立てて座った。

「山頂での戦闘だって、君に助けられた」

009は、真っ直ぐな瞳で彼女を見ていた。

「…必死…だった…から…」

009は、そう話す003の身体を起こすと、ピルケースから取り出した薬を、003の手のひらへと乗せた。

「話すよりも、今は先にこれを飲んで」
「…ええ…」

003は、受け取った錠剤を口に含んだ。
そして、水と一緒に喉の奥へと押し込もうとした。
その瞬間、喉のつかえを感じ、急に咳き込んだ003は、水と薬を吐き出した。

ゲホッゲホッ!!咳をする度に胸が傷み、003は酷く咳き込んだ。

「大丈夫かい!!」

009は、 咳込む003の背中を何度もさすった。
そのまましばらく、背中をさする009に、呼吸が落ち着いた003は、

「…後で…飲、む……」と小さな声で伝えた。

そうして、再び瞼を閉じてしまった003は、苦しそうに呼吸を繰り返し、虚ろな様子である。
ソファーへと、再び003を寝かせた009は、丁度マフラーの上に落ちた、吐き出された薬のカプセルを拾い上げた。

「後じゃなくて、今飲まなくちゃ、薬がダメになってしまうんだ…」
「…う…ん……」

009が呼びかけに小さく頷くのだが、003は目を閉じたままである。
瞼が重いのだろう、徐々に深い眠りを求める003の身体は、すでに彼女の意思の限界を越えている。
009は、彼女の意識が、何度も遠くなるのが分かった。

「…ジョー…」
眠ってしまわないように、今や、やっとの思いで声を出しているようである。

「……ダメ…みたい…ここに…おいて…いって…」

そう話す、小さな唇が震えていた。
009は、彼女の華奢な手に自分の手を重ねると、ゆっくりと話しかけた。

「今の君から、離れる訳にはいかない。君の回復を待って、ドルフィン号を探すから、一緒に家に帰ろう」

何か言いたげに、僅かに唇を開いた003だが、声にはならないようだった。

「無線の回線、開けるようなら…」
009は、そう話すと脳内の無線で彼女に話しかけた。

『フランソワーズ?』

『…私のせいで…ごめんなさい。あの時…、コックピットで…、私が…隙があったから…皆…こんなことになって…しまって…あなたは…酷い怪我とか…していない…かしら…』
『酷い怪我なんて、してないよ。僕の事なら、気にしなくて良いから』

『…でも…あの時…ジョー……足は…大丈夫…?』
『大丈夫』
『…そう、酷い傷…では…ないの…ね』
『うん…』

009が、この機能を、こんなふうな会話として003との間で使用したのは、これが初めてだった。
009の脳へ、直接届く彼女の言葉は、いつもと違った。
普段は戦闘時の連絡用としてしか使わない機能だから、尚更ではあるが…。

『……外の…風の音が…酷い…わね…、遠く…ずっと遠くも…吹雪いているわ…』
『フランソワーズ、耳を使っていたの?!』

『…うん…ここに…着いて…しばらく…してから…何か…聞こえて…来ない…かと…思って…ドルフィンの…エンジン音とか…でも…何も…聞こえ…なくて…』
『フランソワーズ、今すぐに、オフにして。遠くの音なんて、今は聞かなくても良いよ』

『…でも…突然…なにか…聞こえるかも…しれないわ…』
『今は身体の負担にしかならない。眼も耳も、休ませて。それで少しは、マシなはずだ。…たのむから、切ってくれ』

脳内無線でも、003の言葉は途切れ途切れに聞こえていた。

『…ジョー…何か…今の…私に…出来る…ことは…』
『フランソワーズ…君って人は…』
『…まだ…ミッションは…終わってない…のに…頑張っても…意識が…途切れ…そう…だわ…』

重ねた003の手から、身体の震えが伝わっていた。
こんな状態なのに彼女は、耳の機能を……。

「ごめん、少し話しすぎたよ。無線も、オフにして…」

009は、003の額にそっと手を置いた。
汗すら、かいていない。
このまま、薬を飲まないままの状態で、003を眠らせるわけにはいかなかった。
カプセルに入っている薬は、溶ける場所や時間を計算されて作られているが、水と一緒に吐き出されたこのカプセルが溶け出すのは、時間の問題なのだろう…。009の手の中で溶けてしまっては、なんの効果もない。
目の前の003は、苦しげな息のまま瞳を閉じて震えている。
薬を飲めば震えが止み、解熱も期待できる。眠るなら、せめてこれを飲用してから―。

「フランソワーズ、君を救いたいんだ」

009は、心の中で何かを決心したかのような、切なく祈るような声で、003に、そう話しかけた。



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