written by みさやんさま




Everything i do is for you.
 〜闇に架ける虹〜



<10>



救いたい。

でも、彼女を救うためとはいえ――。



そんな一瞬の迷いが、003を抱き起こした009の手を止めていた。
彼の腕の中の003は、意識をやっと繋ぎとめているかのように苦しげな表情で、深い呼吸と浅い呼吸を繰り返していた。
空中落下、雪山、戦闘、そしてスノーへの一撃。数秒の気の緩みが、命を危険に晒す極限の緊張状態で、気絶と覚醒を繰り返した003だが、それは、自分一人で戦っているわけではないという、彼女の意志の強さがあったから出来たことなのだろうと009は思っていた。
つまり精神的な面においても003には、彼女の意思とは別の所で、多大な疲労があるはずだった。

「003、…僕の指を握れる?」

009は、003の手の平へと、自分の指を静かに置いた。
その言葉に、虚ろな瞳で009を見た003だが、やがてゆっくりと、その指を握った。

「…薬を、なんとかして君に飲んで欲しいと思ってる。だけど、今の僕が思いついたことは、僕の勝手では、どうしても出来ない。君を、傷つけたくないから…。こんなこと、君に聞くこと事態、どうなのかって、そう思ったりもしてる…。だから、もしも嫌だったら、僕のこの指を離してくれないか」

指の動きで、意志を伝えて欲しい。
それは、声を出すことや、無線で話すことすら、辛くなってしまった003の事を思っての行動だった。
どこか遠慮がちにそう話す009の言葉に、003は、009の指を握ったままで小さく頷いた。
そして003は、もう一方の手を009の手の上に重ねると、迷いがみえる009の瞳をじっと見つめた。

互いの気持ちを、その視線から感じとるかのように、ほんの数秒だけ見つめ合っていた二人だが、 やがて009は、 「楽に、してて…」 とだけ言うと、カプセルの中の粉薬を、カップの中の水に溶かし、それを口に含んだ。

溶けた粉薬が、苦味を増して009の口の中に広がる。
腕の上に003の頭を乗せた009は、僅かに開いている003の口元へ唇を重ねると、そのままゆっくりと薬を流し入れた。
口元へと押し当てられた、その柔らかくも濡れたあたたかい唇の感触と、額と頬に触れた009の前髪。
それと同時に、粉薬の苦味が、003の口の中へと広がった。

009は、一度に薬を流し込まず、003の様子を感じ取りながら、飲むことに無理がないように、少しずつ口に含んだ薬を流し込んだ。

“009…”

自然に高鳴った鼓動で、胸の辺りがきゅんと締まるような、今までに感じた事がない、そんな思いを感じた003は、その瞬間、思わずぎゅっと009の指を握った。


“もしも私達が…、009と003ではなかったら…、“ジョー”、あなただったら、こんな時、私にどうしたんだろう…”


009の腕に、抱かれるようにして接近した身体、そして重ねられている唇は、相手を意識すればするほど、鼓動が早くなり呼吸が辛くなってしまう。
感情の高ぶりは、熱のせいもあるのだろうか……。


“ …ここは戦場で…それに、…やっぱり私達………”


003は、堪え切れないような切なさを感じ、思わず、少しだけ唇をずらした。
そんな003の口元から、僅かに水薬が零れ、それに気がついた009は、触れ合っている唇の角度を僅かに変えた。
そして、数秒前よりも優しく、さらにゆっくりと少しずつ、003の口元へと薬を流し込んだ。


“…ジョー”


自然と流れ出た涙の雫は、頬から耳へとつたい、003の防護服の襟元を濡らした。
また一滴、そしてまた一滴…。

“…フランソワーズ?!”

彼女の涙が、僅かに009の前髪を濡らしていた。
003が泣いてしまったことに気がついた009は、そっと唇を離すと、瞳を閉じたまま涙を流していた003の顔を見つめた。
やがて、涙で濡れた瞳を開けた003と視線が合った009は、唇が触れ合っていた時間ずっと、胸に感じていた切なさと、分かっていた自分の思いを、この場はなんとか抑えるかのようにして、彼女へ声をかけた。

「ごめん…」

腕の上の003の頭を、そっとソファーへと下ろした009は、同時に、繋がれていた手も離した。

「泣かせてしまって…、無理、させてしまったみたいだね…」

申し訳無さそうに、そう呟いた009は、ふっと視線をそらすと、俯くように視線を下に向けた。

“…ジョー!”

そう009の名前を呼ぼうとした003だが、それは声にはならなかった。
僅かに首を降り、瞳を開けた003の視界に、心配な表情を浮かべる009の姿があった。

何か勘違いをさせてしまっているかもしれない。

“…泣いてしまったのは、違うの” と、声にしたつもりが、肝心の声は擦れてしまい、声が出てこない。
003は、無理に出そうとした声に、再び酷く咳き込んだ。

衰弱した身体で、長時間、雪山の冷気を吸い込んだ肺が、炎症でも起こしているだろうか。
もしもこの高熱が、肺から来ているものだとしたら……・。

「フランソワーズ!」
心配のあまり、思わず003の名前を口にした009は、咄嗟に003の手を握っていた。
離された手が再び重なったのと、003が脳内無線で話しかけたのは同時だった。

『違うの、無理をしていたからではないの…。今は…上手く、話せないかもしれないけど……、ジョー、私の声が、聞こえるかしら…?』

涙で滲む視界で、009を見つめたまま、彼の返事をしばらく待ったのだが、009からの返事は無い。
数分前に、無線を切ってと言われたばかりでは、それは仕方がないのかもしれない。

『…オフにしてって、言われたものね、…きっとこの無線は、あなたに聞こえていないのね…』

003は、やむをえず、今、言葉を伝えるのを諦めようとした。
その一瞬、悲しげな表情をした003を、009は見逃してはいなかった。

『聞こえてる。なんて言っていいのか、分からなくて…、でも…』

無線でそう言葉を返した009は、言葉の途中で、はにかんだように微笑みかけた。

『そういえば、無線、切り忘れてたんだ。でも、今はそれでよかったっていうか…、いったい、なに言ってんだろうね…』

009は、003に、なんとか薬を飲ませることに必死で、彼女には、無線をオフにすることを要望したにもかかわらず、自分のほうは、無線をオンにしたままだった余裕の無さに、内心、苦笑した。

『…ジョー、』
『…なんだい』

『返事が聞けて…嬉しいわ。…今なら、眠れそうよ。…ううん、ほんとは…、やっとの思いで、起きてる…』

身体的に辛そうな表情は変わらないものの、003は、どこか安堵の表情で微笑んだ。

『このままそばにいるよ。今は、休んで』
『…うん、少し…休ませてもらうわ…。なんとか、明日、動けるようになれれば……おやすみ…なさい…』

『おやすみ、フランソワーズ』


疲労困憊した003の身体は、休息を求めるまま、意識を手放した。
009が見守る中で、深い眠りについた003の手を、009は、しばらくの間、握ったままでいた。







夜間、酷くなった吹雪が古い山小屋に容赦なく吹きつけ、建物がギシギシと軋み、音を立てていた。
山小屋の周囲の木々が、バサバサと激しく、枝や葉を揺らす音がする。
009は、仮眠のために閉じていた瞳を開いた。
ふと気がつくと、ほの暗い室内の気温が下がっていった。
足の傷口を庇うように身体を起こした009は、暖炉へと新しい薪をくべると、再び火を熾した。
赤々と燃え上がった炎が、暖炉の前の009を照らす。
暖炉の前の床には、数時間前にこの山小屋へと着いたばかりの自分が流した血痕が、数箇所に亘って残っていた。
出血は止まり、痛みは消えていたが、それは足の状態が回復したからでは無い。

“加速装置が使えない今、この足で、どれくらい移動できるだろうか…。損傷部から、身体の内部に、なんらかの異変が起こっていないようなら、BGの基地までは、行ける。だけどその間、003を一人にしてしまった場合……”

009は、ソファーへと戻ると、003の額へと手を置いた。
薬が効いたのだろう。彼女の呼吸は安定し、比較的、熱は下がってきているようだった。だが、翌朝、共に移動するまでの体力までは、おそらく回復して来ないだろう…。

009は、ソファーの傍の床へと腰を下ろしたまま、以降は眠らずに夜を過ごした。






翌朝。

「僕は、今からドルフィン号を探してくる」

ソファーに横になっている003に目線を合わせるようにして、膝を立てて座る009が話しかけた。

「…だったら、私も」
「フランソワーズ、君は、ここに」
「…どうして?私も一緒に行くわ」
003は、ソファーから上半身を起こした。

「いつ敵に遭遇するか分からない。君のその身体では、まだ一緒に動くのは危険なんだ」
「でも…」
フランソワーズの脳裏に、ブラック・ファントムとスノーの姿が思い出された。

「ここには、薪もまだ残っているし、ここなら、寒さを凌げる」

009は、そう言いながら、部屋の隅に置かれた薪を、暖炉の前へと移動した。
そんな009を見ていた003は、暖炉の前の床に、変色した血痕を見つけた。

「…ジョー!」

003は、009の足へと視線を移した。
時間が経って変色し、黒っぽくなった血が、傷口に巻かれた黄色いマフラーに滲んでいた。

「…血が!かなりの量が出たんじゃ…」

「これなら、すぐに傷口が凍ったから、そんなには流れてないと思う」
「…私が動けなかったばっかりに」

「もう、大丈夫だから」

009は、003がこれ以上は自分を責めることがないように、明るく微笑んだ。

「ごめんなさい、帰ったら、すぐに処置するわ。ドルフィン号は、どの辺りなのかしら…」

「昨夜、君の状態が良くなかったから言わなかったけど、ドルフィン号は……。実は昨日、雪崩で流される前、爆発を見たんだ。もしかしたらその辺りに、墜落したかもしれない。そしておそらく、その辺りにBGの基地もあったはずだ」

「墜落…」

「落下の気圧で無線機が壊れてしまった今、ドルフィンとコンタクトを取るにしても、今は僕一人だけの方が動きやすい。吹雪は収まっているから、移動に時間は掛からないはずだし、君はここで、待っていてほしい。僕一人で、BGの基地があった場所へ行って、システムコンピュータの残骸から、連絡手段を見つける」

「そこまでは、加速装置で移動するの?」

「…うん、そうだね」

「…分かったわ。でも、…くれぐれも気をつけて。そうだわ、ジョー、これを持って行って」

フランソワーズは、ホルスターから自分のスーパー・ガンを取り出した。

「それは、君を守るための銃だ」

「私の方には、エネルギーが充分に残っているわ」
「フランソワーズ、僕がいない間の、万が一の事を考えてくれ」

「だったら、ジョーのと交換しましょう。この銃が、あの時、ジョーを救ったんだもの、私を連れて行かない代わりに、持って行って、お守りのつもりなの」

003の、真剣な眼差しが009を見上げていた。

「…分かった。君の銃をかりる」

009は、003のスーパー・ガンを腰のホルスターに納めると、自分のスーパー・ガンを003に握らせた。

「そのかわり、ここに僕がいない間、この銃は、君のお守りだ」

「…ジョー」
「すぐに戻る」

009は、003の銃を、ホルスターへと納めると、外へと出て行った。





009が出掛けて、数分の時が経過していた。
古い暖炉では、009が最後にくべた薪が、パチンと音を立てていた。

ソファーの上で、ぼんやりと、009が出て行った山小屋の扉を見つめたままだった003は、手に触れた布の存在にふと気がつき、それを手に取ると、膝の上へと乗せた。

それは、結ばれている二本のマフラーだったのだが、一本は長く、もう一本は先が切れていた。
山中の移動の事は、009から詳しくは聞いてはいないのだが、そのマフラーを見ながら003は、動けない自分を運ぶために使ったのであろうことを、容易に想像した。

マフラーの片方には、時間が経って変色した血も滲んでいる。
おそらく、血がついた手で、009は、この二本のマフラーを結んだのだろう。
だとすれば、やはり雪中の移動は困難を極めたものであり、しかも足の傷口からは、大量に出血したはず…。

ジョーを一人で行かせて良かったのだろうか…。

003は、心配のあまり、胸がはちきれそうになっていた。



祈り




神様、ジョーを守って下さい!
そして、一刻も早くドルフィン号が見つかりますように、皆、無事でいて!


今は、祈る事しか出来ない。
そんな無力な自分にもどかしさを感じながら、003は、そのマフラーを胸元へと引き寄せると、009の身を案じ、そして、消息不明の仲間達の無事を、ひたすら祈った。



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