written by みさやんさま




Everything i do is for you.
 〜闇に架ける虹〜



<2>



太陽の光が反射した海は、キラキラと美しく輝いていた。
おだやかな春風が、ギルモア邸の白いカーテンを戯れに揺らす。
グレート・ブリテンは、二杯目の紅茶を飲み干すと、再びキーボードの前へと座った。
玄関のインターホンが鳴ったのは、丁度その時である。

「は〜い。えーっと、どちら様であるかな?」

タイピングの手を止め立ち上がったグレートは、扉の向こうの訪問客にあえて日本語で話しかけた。
すぐに扉の外から声が返ってくる。

「bon jour!、こんにちは!」
「はいはい、ボンジュール!」

覗き穴で相手を確認すると、扉の外に一人の男性の姿がある。
金髪のその男は、黒い鞄からごそごそとなにやら名札らしき物を取り出している最中だった。

「訪問販売ならお断りですから、それじゃあ忙しいので…」
「ちょ、ちょっと待って下さい!!私はフランスから訪ねてきたんです」
「フランス?“フランス人なら、もう間に合ってます”…それじゃあ」

再びパソコン前の椅子へと座ろうとしたグレートを、男の大きな声が呼びとめた。
トントンと、数回扉をノックするその男は、
「お宅に、大事な用事があるんです!すいませんが、お伺いしたいことがあるんです!」
と、このままグレートが家の奥に引っ込まれては一大事とばかりに、玄関先で大声を張り上げている。

(大事な用事?聞きたい事?…なんの用だ?)
グレートは、扉に立つ男が、いったいどんな相手なのかを確かめるように、再びじっくりと覗き穴を覗く。
だが、男が扉に近付きすぎていて、今度は姿すら見えなくなっていた。

「え〜っと…。今、開けますから、お待ちください」

グレートは、しぶしぶ家の扉を開けた。
するとその男は、家の中から出てきたのが日本人では無かったことに驚いた様子で、呆然とグレートを見つめていた。

「ん?我輩の顔に何かついてる?」
「…てきり…日本人だと…」
「“てっきり”、日本人だとだよね?日本語は出来る?」
グレートは、先程から男が話す日本語の発音が、所々違っていたことに配慮し、そう訪ねた。

「実は、あまり得意ではないんです。業務用なら、話せるのですが…」
「おたく、フランス人って言ってたよな?」
「はい」

「“では、これからフランス語で会話いたしましょう。…ワタクシはイギリス紳士。あんた、誰だい?”」
グレートは、流暢なフランス語で男に話しかけた。

街中から離れたこの研究所の場所を知る者は、極少数のはずだ。
この男、どこでここを知ったのだろうか?そして何者? グレートは、探るような視線で男を見る。

「海沿いのドライブ中に、道に迷ってホテルまで帰れなくなったとか?さっき、大事な用事とか言ってたけど、おたく様の身分証明なんかを見せて頂けると、手っ取り早いですなあ。
…いえね、こんなことを言うのは、ここは、ほとんど訪問客が来ない家なんでね…」

グレートは、仕立ての良いスーツを着る、目の前の男を、上から下までじっと観察するように見ていた。

「あの…、私はけして怪しいものではありません。それに道にも迷っていない。突然訪ねて来た身で失礼ではありますが…、ここは、アイザック・ギルモアさんのお宅ですよね?
ちょっとこちらで確認したいことがあるんです。私は、AIR FRANCE航空で機長をしています、ジャン・アルヌールといいます…」

そう言い終わるとジャンは、スーツの胸ポケットから名刺を取り出し、そして、手に持っていたフランスの航空会社の名前が書かれた社内パスをグレートに差し出した。
グレートは、男が差し出した写真付の社内パスと、肩書きが書かれた名刺を受け取り、表も裏も隅々まで確認した。パスも名刺も本物のようである。

「ジャン、アルヌールさんですか…」
「はい。あの、あなたがギルモアさんですか?」
「いや、違う。俺は、グレート・ブリテン。あんた、ギルモア博…、いや、ギルモアさんに何かようかい?」
ジャンに、社内パスの方を返したグレートがそう尋ねる。

「ギルモアさんにと言いますか…、あの、突然で失礼なんですが…、こちらに、フランソワーズ・アルヌールさんという女性がお住まいではないですか?実は、私はその方を訪ねてきたんです」

(何故、フランソワーズの名前まで?この男いったい…。それにアルヌールっていやあ、フランソワーズと同じ苗字だよな…。う〜〜む…)
ジャンの言葉に、腕組みをしながら数秒間考えていたグレートだが、初対面の人間にいろいろと説明するわけにはいかず、
「残念ですが、フランソワーズ・アルヌールさんは、今は留守です…」 と、返答した。

「そうですか…。あの、お戻りはいつ頃でしょうか?」

「…えっと、いつと言われてもなあ…。今、旅行 (ミッション) に行ってまして、帰りは未定!」
「未定?そんな!」
「まあ、なんと言うか、…そんな顔されてもねえ〜」
「あの、またこちらに帰ってくるんですよね?!」
「…ええ、まあ…」
「私は仕事で日本に来たので、四日後にはパリへ戻らないといけないんです」
「…はあ、そうですか。それは短い滞在で…」 (この男、なかなか帰りそうにないなあ…)

「お留守か…。では、せめて、ギルモアさんにお会いしたいのですが…」
「いま、風邪で寝込んでますからねえ…、と言っても寝てないかもしれないけど…」

「お身体を御安め中、大変申し訳ないのですが、そこをなんとか出来ませんか?」
「…う〜〜〜ん」

なかなか帰らない客人に、禿頭を撫でながら唸るグレート。
ジャンは、その背後で見えた人影にふと目を止めた。白衣を着た一人の老人が、家の奥から出て来たのだ。

「…グレート、わしに来客かな?」

寝室のテレビカメラで、グレートと見知らぬ男のやりとりをずっと見ていたギルモアは、フランス人の男が深刻な眼差しでグレートと会話するその内容が気になり、自ら玄関へとやってきたのだ。

「あ、ギルモア博士、寝てなくて大丈夫ですか?」
「咳が残っているだけで、もう大丈夫じゃ。熱はとっくに下がっておる」
ジャンは、特徴的な顔の白髪の老人に尋ねる。
「あの…、あなたが、アイザック・ギルモアさんですか?」
「いかにも。私がアイザック・ギルモア」
「お会い出来て良かった!私は、ジャン・アルヌールと申します」
ジャンは、グレートに見せたのと同じ身分証明証をギルモアの前に差し出した。
「先程から、グレートとのやり取りを見ておりました」
「…先程から、見て?」
「この家には、わけあって外世界と縁を切っておる者が、ひっそりと暮らしておりましてな…。それで、ここにカメラを取り付けてあるんです」
ギルモアが指差す天井には、一見すると照明器具のようなカメラが取り付けてあった。

「アルヌールさん、何か御事情がおありのようですな。いったい何の御用件でこちらにいらっしゃったのか、お聞かせ願いたい…」

「実は私は…、40年前に行方不明になった妹を探しています。今回、仕事で日本にやってきたんですが、四日後のフライトで、またパリへ戻らないといけないんです。
妹の名前はフランソワーズ・アルヌール。ギルモアさん、突然、お伺いして申し訳ないのですが、こちらにお住まいの女性が妹であるかどうか、確認させて頂きたいのです」

ジャンは、40年前の悲しい出来事、それによって個人的事情で妹を探していること、搭乗者名簿のこと、年齢から考えても、この家の女性は、妹である可能性が低いこと、しかしながら、どうしても確認したかったこと、どうやってここの住所を調べたのか等、これまでの経過を簡単にギルモアに説明した。

「…事情は、よく分かりました。アルヌールさん………」
ギルモアは、深慮深く落ち着いた瞳でジャンを見つめていた。

(この男性、行方不明になっておるフランソワーズの…)
ギルモアがそう思った瞬間、突然、子供の声がギルモアとグレートの脳天に響いた。
『ぎるもあ博士。コノ人ノ、記憶ヲ探ラセテ貰ッタ』
夜の時間から起きてリビングへと現れたイワンが、ギルモアに話しかけたのだ。

『ヨク寝タ。オ腹、空イチャッタ』

「イワンや、起きて来たのかね…」独り言のように呟くギルモア。

ヨク寝タ。オ腹、空イチャッタ。
と、ふいに子供の声が脳天から聞こえてきたジャンは、不思議そうに周囲を確認した。

『ココダヨ』

ジャンは、ギルモアの肩の辺りに突然現れた赤ん坊の姿に驚いて、その姿を凝視した。
何故ならその赤ん坊は、不思議なことに宙に浮いていたのだ。空中で背伸びをしたイワンは、呆然と自分の姿を見ているジャンに、マジックではないことを証明するかのように、その場でくるりと回転して見せた。

「と、飛んでる?!」

「イワン、そんな姿、みせても良かったのか?」
グレートは、能力を隠す様子のないイワンの行動に、諦めたように肩をすくめた。

『コノ人ハ、真実ヲ見ル必要ガアルカラ。“ふらんそわーず”ヘノ想イハ強ク、僕達ガ嘘ヲツイテモ、無駄ダ。極限ニ追イツメラレタ人間ノ精神力ハ、“未知ノ力”ヲ感ジトル事ガアル。彼ハ、その力ニ導カレテ、ココニ来テイル』

(そうじゃったのか。それでイワンもここに来たのじゃな…)
(嘘をついても無駄って、具体的にはどういうことだ?イワン)
ギルモアとグレートの思考を、瞬時に読み取ったイワンは、今度はギルモアとグレートだけに話しかけた。

『コノ人ハ、ふらんそわーずノ、実兄ニ、間違イナイヨ』

ギルモアとグレートは、目の前に立つ背の高い男性を見上げると、改めてその姿に注目した。
太陽の光に反射して輝く金色の髪、空を思わせるような瞳の色、目の形、口元、上品な雰囲気のその男性は、外見からも確かにフランソワーズを思い出させた。
一方でジャンの目線は、少し前からイワンを見続けていた。

「さっき喋ってたのは…、もしかして赤ちゃんの君なのか?!」
『イカニモ』
「君、フランソワーズがどんな女性なのか知っているんだね?!」
『知ッテルヨ』

ジャンは、フランソワーズという言葉に、目の前の赤ん坊が宙に浮いていることや、普通に自分と会話していること等は、今やお構いなしといった慌てぶりで、スーツの裏ポケットから、セピア色の一枚の写真を取り出すと、それをイワンへ見せた。その写真を、ギルモアとグレートも覗きこむ。
そこには、バレエの衣装を身にまとって微笑む、フランソワーズの姿があった。

「これが、40年前に行方不明になった妹です。もう、こんなに若くはないはずだけど…。実は、こちらの19歳の女性とは別人であることは、最初から分かっているのですが…。それでも…、どうしてもこの目で、この耳で、確認しないことには、いてもたってもいられず、ここを訪ねて来ました…」



フランソワーズ




『ふらんそわーず、ダネ』
写真を見たイワンが、おしゃぶりをモゴモゴと動かしながらジャンに答えた。

「ふむふむ、確かに、我が家のフランソワーズ嬢ですな!」
「フランソワーズは、あなた様の妹…、そうですか。そうじゃったのですか…。アルヌールさん、どうぞ家の中に入って下さい。話しの続きは中で…、お時間はよろしいですか?」

「…フランソワーズ?僕の妹?!あの、それは、ほ、本当なんですか?!」

ジャンにとっても、ギルモア達にとっても、それは突然の展開だった。
玄関先で呆然と佇み動けないジャンの背中へ、グレートは家の中へと招き入れるような仕草でそっと手を置いた。



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