written by みさやんさま




Everything i do is for you.
 〜闇に架ける虹〜



<14>



彼らの心中では、様々な複雑な思いがぶつかり合い、葛藤していた。
それが、無言の時を自然と作り出していた。

数分後、室内の重い空気を、一時でも断ち切るかのように、ジョーの部屋のドアが開いた。
「フランソワーズだが…、少し前に、ここを出て行ってしまった」
開いた部屋のドアの前には、アルベルトが立っていた。

「…引きとめなかったのか?」
ジェットは、驚いてアルベルトを見つめた。
「引き止めることは、出来なかった」
「なんでだよ!!」
「今までのフランソワーズを、知っているからだ」
困惑を隠さないジェットに、「仕方がなかったんだ」そう言葉を付け加えると、アルベルトは、射竦めるような視線でジェットを見ていた。

「どうして、出て行ったことを知っているんだい?」
「俺が、見送ったんだ…」
アルベルトは、ジェットと視線を合わせたままで、ジョーを見ずにそう答えていた。

「せめて、出て行く前に相談くらいしてほしかったぜ…」
呟くようにそう言葉を漏らし、部屋を出て行くジェットの後を追いかけようとしたジョーの肩を、アルベルトの手が制止した。

「俺たちが、どうしようも出来ないことは、あいつだって分かってるはずだ…」
「だけど、どうして君がそんなに落ち着いていられるのか、僕は…」
「俺は、慣れているからな…」
アルベルトの表情が一瞬、曇った。

「別れには、な…」
「…アルベルト」
「ほんとうは、すぐにギルモア博士のところへ行こうとしたんだが、ジェットの声が下まで聞こえていたから、それで先にこの部屋に来てしまった」
開け放たれた窓から入った風が、室内のカーテンをバサバサと揺らした。

「…俺は、たとえ003の能力は無くとも、フランソワーズは俺達にとっては大切な存在だ、と伝えた。別離を決めたフランソワーズに、俺が最も伝えたいのは、そこだった。フランソワーズは、昔から一人になってしまうのを恐れていたからな」

「一人になるのは、恐いよ。…誰だって」
ジョーは、フランソワーズのことを想った。

「限りある時間を生きるほうが、ほんとうは幸せなんだということに気がつき、そして、永遠の命を得るなんてことは、馬鹿げてると思う、俺たちは、そんなことはとうの昔の気がついている」
「………」
「ジョー、お前なら、どうしていたと思う。フランソワーズが、最後に、もしもお前のとこに来ていたなら…」
アルベルトの目の前には、真剣な眼差しのジョーがいた。

「…フランスへ帰ることにしたと俺に告げた時、フランソワーズは、今のお前のような瞳で俺を見ていた」
それを聞いたジョーは、一瞬、寂しさを瞳に宿した。


僕だったら、この腕から、離せなくなってしまっていたかもしれない。


「僕は…、ジェットに、二度と会えなくても、それが宿命なら仕方ないと言ったんだ。そう思っていないと…、気持ちを抑えきれそうにない」

おそらくは、心の中で酷く葛藤しているジョーを見て、アルベルトは、若いころの自分と重ねていた。愛する恋人を失った、あの頃の自分を…。

「お前を見ていると、状況は違うが、昔を思い出すな…」

「心の中に、二つの気持ちが同時にあって、それが矛盾してる、冷静に考えてるつもりでも、自分が分からなくなってくる。…すまない、アルベルト」
「謝ることじゃないよ」

「…フランソワーズが、大切な人すぎたんだ」

皆にとっても、僕にとっても…。

憂いに満ちた瞳で、ジョーはそう話す。
ジョーは、どうしようもない切なさを感じていた。




***





ギルモア研究所へと繋がる海沿いの細い道は、旧道のため、ほとんど車の通りが無い。
だが、断崖絶壁が続く道のカーブを幾つか曲がり、苔が生えた古いトンネルを抜けた辺りから、徐々に道幅が新しく広くなる。そこからは、一般の車を時折だが数台は見掛けるようになる。
ギルモア達にとっては、トンネルを抜けるとその先は、世間と繋がる一般道なのだ。
普段は、主に009が所有する車を降りたフランソワーズは、ゆっくりと歩き出した。
そのフランソワーズの後ろには、運転席から降りたアルベルトが、彼女を見守るようにして立っていた。

フランソワーズは、見晴らしの良い海岸沿いの道の先へと視線を移した。
彼方から向かって来る一台のタクシーが見える。
フランソワーズは、後ろを振り返った。
彼女の視線の先には、アルベルトが、変わらずにフランソワーズを見ていた。

「ごめんなさい」

フランソワーズは、アルベルトに聞こえるようにそう叫んだ。

ここに来るまでの車内、アルベルトはずっと無言のままだった。
それが、アルベルトなりの気遣いなんだということは分かっていた。だから、アルベルトに、最後の瞬間を頼んでしまったのかもしれない…。時には、こっそりと兄と重ねたこともあったアルベルトだが、最後の最後にまで甘えてしまったことを申し訳なく思うと共に、救われた気持ちにもなっていた。もしも誰かに引き止められれば、出て行くことが出来なくなる自分が、心の中にいることを、分かっていたからだ。
だからフランソワーズは、そっとギルモア邸を出たのだった。

フランソワーズのスカートを、潮風が揺らしていた。
アルベルトが、口を開いた。

「…元気でな。俺達の姿が見えなくとも、お前さんは一人じゃない」

防護服の上に黒いコートを羽織ったアルベルトの、黄色いマフラーが、いつの間にか風になびいていた。
長く黄色いマフラーが、海風になびく姿に、フランソワーズは思わず涙をこぼしていた。
変化する戦場の空気の流れの最中、互いの存在が見えなくとも、それでも互いの存在を確認し合ったことを、皆が無事で存在していることに、何度となく安心したことを、充分すぎるくらいに、思い出した瞬間だった。







――二日後。



防音ガラスが張られたガラス張りの廊下、ソファーに座るフランソワーズの膝には、小さな鞄が乗っていた。帰国までの急速な時間の流れに、ギルモア邸を出てきたのが、つい数時間前のことのように思えるフランソワーズだが、いよいよ、ほんとうに“出発と別れ”の時がやって来た。

ギルモアが、ジャンの宿泊先に電話をかけてきた時、フランソワーズは今後の事をギルモアと話し合った。思えば、003としてBGと戦闘する日々を最初に誓ったのも、ギルモア博士だった。そして、最後にお別れを言ったのも…。

電話を切った瞬間、涙を流したフランソワーズを、ジャンはそっと抱きしめた。
帰国までの間、ジャンは、妹が気分転換になるようにと、エアポートに隣接するショッピングセンターや、レストランに積極的にフランソワーズを連れ出した。
ショッピングや食事を楽しむという、普通の生活をしている自分。
それが、不思議だった。
張々湖飯店は別として、日本で外食したのも、本当に久しぶりのことだったからだ。


***


フランソワーズは、目の前の大きなガラス窓から、飛行機の下で整備士と話す兄の姿を見ていたが、革靴の響きに、通路の向こうから、ジャンと同じ航空会社の制服を着た若い男性が、こちらへ歩いてくるのに気がつき、ソファーから立ち上がり会釈をした。

副操縦士のニコラは、一瞬、驚いた表情でフランソワーズを見ていたが、すぐに会釈を返した。
やがて、フランソワーズが座るソファーへとやってきたニコラは、いつものように制服のジャケットを脱いで、それをソファーへと置くと、窓の外で先に機体のチェックをしている機長へ視線をうつした。そして、母国語であるフランス語で話しかけた。

「こんにちは。機長の、お知りあいですか?」

「…ええ、そうです」フランソワーズは微笑んだ。

その美しい笑顔に、親しみを感じたニコラは、「よかったら、一緒に行きませんか?」と手を差し出した。
「滑走路に?」
「はい。ここで見ているより良いんじゃないかな?って思って…」
「ええ、でも飛行機を見学してたわけじゃないから」
フランソワーズは困ったように微笑んだ。

「もしかして、機長を待ってるんですか?」
航空会社の制服を着ていない女性が、ここに座っている訳は、知り合いを待っている他に理由は思いつかない。

「はい…」

アルヌール機長、こんな綺麗な女性とお知り合いなんだな。
ニコラは、そんなことを考えながらフランソワーズを見ていた。

機体の下では、ジャンが手を振っていた。

「あなたのこと、呼んでるみたいですね」
「え?!あ〜ほんとだ!!」
機長よりもフランソワーズばかりを見ていたニコラは、焦った様子でそう答えた。

「…やっぱり、ご一緒させて頂こうかな」
「え?」
ニコラは意図せずして素っ頓狂な声をあげた。そしてすぐに言葉を続けた。
「けっこう気持ち良いですよ!僕の場合は、これから自分がこの機体を操縦するんだっていう、適度な緊張感を感じる場所ではありますけど」

「なかなか歩けない場所だから、って思ったの」
そう言いながら、背伸びして立ち上がったフランソワーズに、ニコラは微笑んだ。

「今日は、風も穏やかだしそんなに寒くないんですけど、でも、あなたの格好では肌寒いかもしれないな…」ニコラは、外を見ながらそう答えた。

「あ、僕のジャケットを貸しましょうか?」
「ありがとう。でも、大切な制服を私がお借りするわけにはいかないわ。これを上に羽織りますから」
そう言いながらフランソワーズは、自分のカーディガンを羽織ってみせた。

「その色、あなたに似合っていますよ。美しい桜の花みたいに」

桜の花が好きなフランソワーズは、ニコラの言葉に、そっと頬を染めた。
そして、ジャンを見た。
機体の下のジャンは、仕事の手を休める事無く、一方では、さっきからずっとこちらを見ているようだった。
フランソワーズは、昔とちっとも変わっていない兄のお茶目な部分を自然と思い出した。

「…あの視線はきっと、アルヌール機長に、あなたをナンパしてるって思われていますね…」

呟くようにそう話すニコラに、フランソワーズは微笑んだ。

「あ、僕は、そんな軽い男じゃないですからね!」

ニコラは、フランソワーズの視線に気がつき、微笑みながらそう弁解すると、フランソワーズの前へと歩き、ガラスの扉を開け、「どうぞ」という素振りをした。
視界を遮るような高い建物がない滑走路の空には、雲ひとつ無い青空が広がっていた。


「ほんと、風が気持ちいい…。それに、空が綺麗だわ」
「でしょ?ところで、こんなにお話したのに、ご挨拶がまだでした。僕は、ニコラと云います。ご迷惑でなければ、あなたのお名前を教えて頂けませんか?」

「フランソワーズです」
「良い名前ですね」
「よくある名前ですよ」
フランソワーズは微笑んだ。

「たとえよくある名前でも、同じ人は一人としていませんから、僕は、そういう意味でも、いいお名前だなと」
「名前のこと、そういうふうに考えたことなくて、でも、なんだか嬉しくなりました。ニコラさんは、普段はパリにお住まいなの?」

「ええ、エッフェル塔がよく見える部屋が、僕の家です」
「部屋からエッフェル塔が?素敵なお部屋ね」
「あとはね、中庭の鳩とか…」
「鳩?」
「たまの休みに、ふと中庭のガジュマルの木を見ていたら、鳩が巣を作っていたんですよ。
鳩って、公園にいるイメージしか無かったんだけど、その二羽は仲が仲が良さそうで、それできっと夫婦だなって。なんだか、ほのぼのとした光景で、心が和みました」

「毎日、お忙しいの?」
「不規則ですから、こういう職業はね。のんびりした光景には、それなりに癒されるし、仲の良い二羽の鳩を見ていたら、恋人がいてくれたらなあ、なんてふと思ったりも…」

フランソワーズは、中庭の鳩を眺めるニコラをイメージして、ふふふと笑った。

「僕、変なこと言いましたか?」
「いいえ、そういう時ってあるなあ…って思ったから。何かを見て、自分の状況と重ねてしまう時とか…」
「ま、あまり、こんなことは人には言わないですけどね」
「そうなの?」
「鳩を見て、感傷的になってる男ってのもね、どうなんだか…」
そう言いながらニコラが笑うので、フランソワーズも微笑んだ。

「フランソワーズさんは、パリにお住まいなんですか?」
「……ええ、そうね。ずっと…」
「日本へは、旅行で?」

「…親しい友人が日本に住んでいたの」
フランソワーズは、ふと寂しげな表情を見せていた。

「そうですか…。友人と、また離れるのは寂しいですよね。でも、この空も風もパリの空へと繋がっています。距離は遠くても、そう思うとちょっとだけ元気になれませんか?あ、そうそう、パリの空も、日本のように快晴のようですよ」

「そうね、…繋がっているんだわ」
フランソワーズは、アルベルトの言葉をふと思い出した。



フランソワーズ、二コラ




―俺達の姿が見えなくとも お前さんは一人じゃない―

ジャンの隣に立っていた男性整備士は、突然、ニコラと共に滑走路に現れた美しい女性に見惚れ、手に持っていた記録ログを落とし、それがジャンの足に命中していた。

「おいおい、痛いよ!」
ジャンは、足元の記録ログを拾いあげると、整備士に渡した。

「あっ!!すいません!」
ジャンは、フランソワーズに見惚れる整備士と、フランソワーズの隣を歩くニコラの様子に、自然と過去のことを思い出し、内心、苦笑いした。

あの頃、自分が知る範囲で、フランソワーズに想いを寄せた男性が何人いただろう?と。

デートの誘いや告白を、バレエに専念したいからと言い、断り続けていたフランソワーズ。それでも、次から次へと妹へ好意を寄せる男性が絶えなくて…。

(そういや、あの頃の俺は…。お前へのそういう視線も心配で、仕事の時間が空けば、レッスンの迎えに行ってたんだよな…。今思えば、なんて心配性な兄ちゃんだったんだろうな)

「“機長”見学に来ました…」
「どうぞ、フランソワーズ」
「こういう位置から、エアバスを見たのって初めてだわ!」
フランソワーズの無邪気な笑顔に、ジャンは微笑む。

「じゃあ、僕はここで」
機長の傍へとフランソワーズを送ったニコラは、フランソワーズに手を振ると、別の整備士の元へと歩いて行った。

「お仕事、頑張ってね」
「パリまで、安心して乗ってて下さいね」
ニコラは、フランソワーズの言葉に振り返ると、微笑んだ。


「ジャン兄さん、さっきから何をしていたの?」
「出発前に、エンジンや翼を確認するのもパイロットの仕事だから。フランソワーズは、ニコラと楽しそうだったね」
「ええ、気さくな人ね」
「あいつは、なにかと優しい男だよ。それに、真面目だし仕事にも熱心だ」

フランソワーズを見つめるジャンの視線は、限りなく優しい。

「飛行機の下や、滑走路は、怖くないかい?」
「怖く…ないわ」
そう呟いたフランソワーズの視線は、ジャンの肩越しから見える加速中の飛行機を捉えていた。
フランソワーズの表情が、一瞬だけ曇ったのを、ジャンは見逃さなかった。

「フランソワーズ、(良いのか?)」

ジャンがそう言いかけた時、ジャンの背後で飛び立ったばかりの飛行機の轟音が、彼の言葉の語尾を遮った。

「え?聞こえないわ」

そう言いながら、ジャンのすぐ傍へと駆け寄ったフランソワーズ。
ジャンは、そんなフランソワーズの頭に、ふわりと手を置くと、昔のように頭を数回撫でた。

「私もう、子供じゃないわよ」
フランソワーズは、昔と変わらないそんな兄の行動に微笑んだ。
「…そうだったな」

ジャンは、フランソワーズをそっと抱き寄せた。
ジャンの胸に倒れ込むフランソワーズの頬に、ジャンの制服のウイングバッジが触れた。

「ジャン兄さん…?」
「…今は、何も考えるな。いつでも俺がついているから、心配なんてしなくて良いから」

ジャンの腕の中で、数秒だけじっとしていたフランソワーズは、ジャンを見上げ、どこか寂しげな表情で微笑んだ。

「…うん」

ジャンは、そんなフランソワーズの背中を、親が子供を愛しがる時のように、ぽんぽんと数回、優しく撫でた。

向かい側の翼の下、エンジンの傍に立っていたニコラは、偶然、その様子を目撃して驚いていたが、なにか事情がありげな機長とフランソワーズの様子に、何も見なかったことにして気持ちを切り替えると、再び機体の点検の続きを始めた。


数時間後、フランソワーズを乗せた機体は、遠くパリの空を目指し、飛び立った。





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