written by みさやんさま




Everything i do is for you.
 〜闇に架ける虹〜



<13>



翌朝――。
地下診察室から出たフランソワーズは、階段を上る足取りも重く、自室に戻るなりベッドに倒れこむようにして座ると、側にあったクッションを両手に抱え、そこに顔をうずめた。
ギルモアから聞いたばかりの言葉が、何度も彼女の頭の中で甦る。


“君の003としての視聴覚を、通常の人間並みに設定したんじゃ…”


「…私の目は、もう“視える”こともない、…普通に聞こえるだけなの…?…博士、そんなこと……、急に……」
そうぽつりと呟く。


“…良い機会じゃ。幸せな選択を選びなさい…、今の君は、003である責任感に縛られることはもうない。今後のわしらの事は心配せんでも良いから、お兄さんに、フランスへの帰省について相談してみたらどうかね?”


そう話すギルモアの表情から、複雑な心情が痛いほど伝わってきたフランソワーズは、ただ無言でギルモアの話を最後まで聞いていたのだ。ほんの数分前は言葉に出来なかったことが、部屋で一人になると次々と頭の中に溢れてくる。
だが、まとまりのないそれらの言葉を、どう伝えれば良いのだろう?
ただ気持ちを吐き出すだけでは、今の段階では、どの方向へも進めそうになかった。
それに、特殊能力を失ったという事実が、こんなにも自分に恐れを感じさせるとは思ってもいなかったのだ。
感情を頭で抑える事は出来ても、身体は正直だ。気がつくと、いつの間にか涙が頬を濡らしていた。
ギルモアの診察室では、驚きが先になり涙は出なかったのだが…。
そしてまた、ギルモアの言葉がrefrainする。


“大切な…、我が子のように思っておる君が、いなくなるのはとても寂しいことじゃが、わしが、わしらが…、君を此処に引き止めておく理由が無いこともまた、事実だからの”


ふと、小鳥がさえずる声が聞こえたフランソワーズは、ソファーを抱えたまま立ち上がり、窓辺に立った。
部屋の窓からは、いつものように太陽の光に反射してきらきらと輝く海が見える。
自室の窓を開けたフランソワーズは、海底の音を聴こうと試みた。
003ならば、イルカの鳴き声や、魚が群れる音などが聞こえてくるはずである。

「……だめだわ」

あえて試みたことで、身を持って現実を直視したことになったフランソワーズは、肩をすくめ泣き声を堪えるようにして、その場に座りこんだ。

「とにかく私…今は落ちつかなきゃ…」

この涙がおさまるように…。





***



海からの潮風が、自室のデスクの前に座るジョーの栗色の髪を揺らし、デスクの上の読みかけの本のページをパラパラとめくった。
ふと、扉の外にジェットの気配を感じたジョーは、自室の扉へと視線を移していた。

「お前、あいつに言うこととかないのかよ」

ノックもせずに、突然ジョーの部屋へと入ってきたジェットがそう訊ねた。
部屋の空気が、一瞬で張り詰めた。

「………」
無言のまま立ち上がったジョーは、ジェットと向かい合った。そして、ジェットの前を通り過ぎ部屋から出て行こうとした。

「どこ行くんだよ?」
「ドルフィン号のドックへ」
「なんでこんな時に?」
「一部の計器が、まだおかしいんだ。さっき、ピュンマから内線で聞いたから」
「今から、それ直しに行くのか?」
「ああ」
「“今から”なあ、お前って、ほんとわかんねえ奴だな!」

部屋から出て行こうとするジョーの前へと立ち塞がるように立ったジェットが、そう声を荒げた。
そのまま道を譲らないジェットに、ジョーが尋ねる。

「何か、用事でもあったの?」
ジョーは、目の前のジェットを見上げた。

「昨晩、ピュンマの部屋で集まって、フランソワーズの今回の手術の事、聞いただろ?」

その言葉にジョーは、数秒ジェットを見ていたが、その視線を床へと逸らした。

「…ああ」

「ジョー、まさかあんな大事な話しだったのに覚えてないとか、忘れてた!とか言うんじゃねえだろうな?!」

「聞いた事はすべて、覚えてる」
冷静なジョーの視線が、再びジェットを見ていた。

「だったら!今朝、たった今だ!!博士からの話は済んだんだ!今、あいつのこと、一人にしといていいはずがないだろ?!」

ジョーに対して、だんだんと口調が強くなっていたジェットは、いつの間にか目の前のジョーの胸倉をつかんでいた。



ジョー、フランソワーズ




「なんでそんな冷静な顔してられんだよ?!」

「…僕達は、ピュンマから事実を、手術のことを聞いたんだ」
「だから??」
「フランソワーズから、聞いたわけじゃないから…」

「はあ??…フランソワーズから聞いてなくたって、誰から聞いたって内容は同じことだろ?」
「彼女次第だと思う」

「フランソワーズが、俺達には事実と違うことを言うってのか?」
「事実は変わらない。…だけど、お兄さんとフランスへ帰るかどうかとか、そういうのって、僕達がどうこう言える話しじゃなくて、フランソワーズが決めることだよね?」

ジェットの手に、自然と力が入っていた。

「ジョー!俺達が、あいつにどうこう言う問題でも、言える立場でもないだろうって?お前、そう考えてるのか??」

「そういうことじゃなくて、彼女から話があるまで、待っていようと思ってる」
「はあ?」

「突然のことで、フランソワーズだって気持ちの整理が出来てないと思うんだ」
「フランソワーズは、お前とは違うんだぜ?」

「それは、分かってるけど…」
「ほんとにお前とは違う事、分かってんのか?それに、俺がお前に……」

ジェットは、ジョーの身体を床に投げつけるようにして、胸倉から手を離した。

「ああもう!!お前のそういうとこ、今回ばかりは付き合いきれねえよ。俺はフランソワーズの部屋に行って来る」

「待って!」
ジョーは、咄嗟にジェットの腕をつかむと、彼を引き止めた。

「お前には、今回は付き合えないって言っただろ?!」
「君を引き止める権利は僕にはないけど、今は一人にさせてあげたいんだ!」

「良いか?同じ状況で男は一人になりたくても、女はそうじゃないってこともあるんだぜ?」
「だけど!」
「手え、離せよ!」

ジョーの手を振り切ろうと、大きく腕を上げたジェットの肘が、偶然ジョーの顔に当たり、その衝撃で壁に身体をぶつけたジョーの、
ドンッ!!
という鈍い音が室内に響いた。

「…つっ!」
偶然、顔に当たったジェットの肘で、口腔を切ったジョーの口元から鮮血が流れた。

「すまない!!大丈夫か?!血が出てる!」

偶然の事故にしろ今の一撃は、力のコントロールを行っていないぶん、それを避けられなかった009が、怪我をした可能性は充分にあった。ジェットは、ジョーの方へと駈け寄ると手を差し出した。

「大丈夫、一人で起きれるから」
「ごめんな!…なあ、だけど、お前なら今のは軽く避けれたはずだぜ?」
「…どうしちゃったのかな」
「…ったく、どうしたんだよ?」

「避けたらジェットの気持ち、おさまらないかと思って…」
「はあ?」
「いってぇ、…口の中も切ったみたいだな」

「……って、お前なあ〜〜!直してすぐの加速装置が、ぶっこわれてたら、どうすんだよ〜」

「とりあえず、博士に叱られるだろうね」
「ああ、ほんとに、子供の喧嘩じゃねぇんだし!…ってな。俺は、ゲンコツ貰うかもしれねえなあ…」
ジェットは苦笑いした。

「はは…」
「なあ、そんなこと言って、ほんとは俺のスピード感ある切れの良い身のこなし、避けるの無理だったんだろ?」

「あれぐらいなら避けれたよ。完全にね」
ジョーも、苦笑いした。

「お前、強がんなよな、今回の件だってほんとは……。なあ、ジョー?俺達はどの程度の仲間なんだ?」

「…ほんとはさ、君の怒りも、その気持ちも、分からないわけじゃないんだ。女性のことって言われると、よく分からないだけどさ…。自分で決めることが、後悔のない道だって思えてくるから、今は見守るのが良いんじゃないかって…。彼女にとっては、簡単なもんじゃないってことは予想出来るんだけど…」

言葉を話したことで、再び口元から流れ出た血を手の甲で拭いながら、ジョーがそう話した。

「ほらよ」
ジェットがタオルをジョーに投げた。
それを空中で受け取ったジョーは、
「…バカなのかな?」と、ポツリと呟いた。

「……ジョー」
壁にもたれたまま真顔でそう話すジョーを見て、ジェットはまた苦笑いした。

「ああ、男としては相当バカかもな?じゃなきゃ、エンジンぶっ壊れた車みたいなもんだぜ」
「なんだよ、その例え」

「動けば良いのに、肝心な時に動けないってやつ。あ!蹴ったら動くかもな?」
「ああ、君って壊れた機械、よく蹴ってるよね」
「衝撃で動く時もあるからだよ」

「荒々しいんだな」
「だってお前とは違うキャラだから、ってね。で、今のはちょっとしたブラック・ジョーク」

「蹴りなら、もう入ってるよ。ここに、しっかりとね」
ジョーは、手をグーにした状態で親指を下にすると、そのまま胸の辺りを指差した。

「…なあジョー、もしかして、あいつが居なくなっちまって、昨晩、俺達の間で決まった事を実行したなら、もう一生会えなくなる。相当、辛い選択だぜ?」

「………」

「俺は、あいつが幸せになれるって保障があるなら、それで良い。だけど、完全に人間に戻っているわけじゃないフランソワーズは、幸せに暮らせるのか?」

昨晩、ギルモア博士と各メンバーとが話し合って決まった事…。
それは、この研究所の移転と、イワンの目覚めを待って、フランソワーズのサイボーグとしての日々の記憶を消すということだった。

「…二度と会えなくても、それが宿命なら仕方ない」
「フランスへ帰ったって、自分だけが外見的に変わらない。永遠の美貌と言えば聞こえが良いが、生身の人間にはありえない話しだ」

すでに落ち着きを取り戻しているジェットは、床に座ると、壁にもたれ座ったままのジョーと、視線の高さを合わせた。





←back / next→