「Give me a little smile」
written by みさやんさま





<6>


ドルフィン号――――――――


コクピットの自動ドアを手動で開き、009、続けて数秒後に005が真っ暗な操縦室に帰ってきた。

「距離1600に敵潜水艦、音響魚雷音確認!」
003は両手を耳に当てて、眉を顰めた。
ドルフィン号は主電力をオフにしているために、現在、ソナー類はすべて使用出来ない。
そのため003は、敵の動きに一秒でも早く気がつくようにと、視聴覚機能をフルに設定していた。

(音響魚雷…)
自分が真っ先に狙われているというその現実に、自然と額から汗が出ていた。

「003、上部に潜水艦が潜航したところで迎撃しよう」
隣のシートに座る008が、そう話しかけてきた。
「008、了解!」

003の耳は、戦闘タイプの潜水艦が発する低周波のエンジン音を捉えていた。
その音で、BG潜水艦が徐々に近付いてくるのが分かる。
さらに超視覚で船体を目視しようとしたが、やはりその姿は確認出来なかった。
ステルス機能を備えた潜水艦という事や、海中という条件のせいもあるかもしれないが、母艦にも特殊な加工が施してあるようだ。

海中に耳を凝らすと、様々な音が聞こえてくる。
そして、海中での音の伝わり方は、海中の温度・塩分濃度・海流によっても違う。
ドルフィン号は深海に停泊している。
深度のある場所の水温は低く、音速は低下する。
そして超聴覚を持つ003の耳には、遠くにいる漁船の音や、イルカや鯨が発する超音波音、魚の群れが一斉に移動する時の 音まで、海水を通して、大小様々な音が聴こえてくる。
高性能の彼女の聴覚は、そういった様々な音が、海底や、岩に跳ね返っている様も、細かく捉える。
海中のすべての音が、情報が、一斉に聴こえてくる中、彼女の耳は、BGの潜水艦の音だけを追いかける。

(索敵するには、音に頼るしかないようね)
003は、海中から聞こえてくる一つの機械音に聴覚を集中させた。

《003、交替しよう》

009からの脳波通信に003は振り返った。
彼女が003として、超聴覚を働かせていると分かっている時、メンバーは彼女に声で話しかけない。

《009、無事で良かったわ》

003は、額の汗を軽く拭うと、メイン・パイロット席を立った。

(……何かしら?…)
009と、席を交替しようと立ち上がった瞬間である。耳障りな嫌な音が、突然、鼓膜に響いた。
彼女は、思わずその場に立ち止まった。

009は、座席に?まったまま動かない003の肩に軽く手を置いた。
それは暗いコクピットで、自分の場所を相手に知らせるという事と、今から席を交替するという合図であったが、この瞬間、009は 003の身体に違和感を感じ、そのまま肩に手を置いたまま、《…003?》と、問いかけるように通信で呼びかけた。
防護服越しではっきりとは分からないが、僅かに彼女の身体が震えているように感じたのである。
003からの返事はない。

《003?》
009は、意識の在り処を確かめるかのように、もう一度、落ち着いた通信音で、そう問いかけた。

一方で、003の耳に入ってくる、耳障りな不快音は、どんどん大きくなっていた。
いや、音が大きいというよりも、音が頭に刺し込むといった方が良いだろうか、それは徐々に痛みへと変わっていた。
呼びかけに対して返事がない003に、009はさらに脳波通信で呼びかけると、軽く肩を揺さぶった。

《003、どうしたの?》

003はその声(通信)に顔を上げ、009を見上げた。
暗がりではあるが、彼女の瞳ははっきりと009の表情を捉えていた。
009は、僅かに眉を顰めて、彼女の様子を窺う。

今しがた海中から戻ったばかりの009の栗色の髪からは、海水が防護服の肩や背中に水滴となってぽたぽたと落ち、 それが傍に立つ003の髪に一滴、…また一滴と落ち、彼女の髪を伝い、そしてするすると彼女の頬を濡らす。
頬を伝った冷たい海の雫は、003の意識を燐とさせるも、 耳の痛みが長引くと、意識を失いかねない身体の状態に、彼女は一刻も早く席に戻ろうと考えた。

(いま倒れるわけにはいかない…)そんな思いが、彼女をそこに立たせていた。

《009…私は…大丈夫》
その時である。
聴力の機能をフルにしていた彼女の耳に、滝壺に流れ込む水のような酷く激しい音が聴こえてきた。
それは徐々に大きく、そして痛みは確かな苦痛へと変わった。
003は、眉をしかめると両耳を押さえた。

(なんて酷い音なの!!)

耳を攻撃されると、平衡中枢へと繋がる、三半規管にも似た部品が狂い、その状態が長く続くと、 回転性の目眩を起こし、やがて吐き気を催し、倒れてしまう。
003は、全身に脂汗を感じながら、肩での呼吸を繰り返した。
船に酔ったような気分の悪さを感じた003は、後部の自席に急いで戻ろうとしたが、009の腕はそれを阻止した。
声を出すのが辛い時でも、脳波通信ならば、意識を失わない限りは相手と話せる。
003は、自分の状態を伝えるために、009に通信を送った。

《009、気分が悪いの。まだ歩けるから、あなたは席に着いて…》
《…原因は分かる?》
《恐らく、BGの潜水艦から出ている特殊な音よ》


006 「全動力を落とした今、003の視聴覚だけが頼りアルね」
007 「ああ、まったくだ。頼むよ!」
005 「うむ、悪いが頼む」
二人が脳波通信を交わす一方で、何も知らないメンバーの声が、暗い機内に飛び交う。


《大丈夫?…今、皆に知らせるから…》
《待って!!…機内を混乱させたくないから、お願い、私の事は黙っていて…》
《…分かった。僕の耳にはまだ聴こえない。…君は聴力のスイッチを切って休んで。嫌な予感がする…》
《了解。席に戻るから、手を離して…》
《…OK》

009は、003の身体を離した。
耳に刺し込むような酷い音は続いていたが、シートに座っている事で、幾分かマシな状態を感じた003は、 意識を失わないように、神経を耳に集中させていた。

《…あと30秒程で、上に来るわ。…今から聴力を切るから…》
《了解。気がつくのが遅れて、すまない…》

メイン操縦席に座った009は、隣のシートに座る008に話しかけた。


「008、あと30秒ほどで敵艦が上に来る。タイミングを計って、緊急発進と同時にエンジン始動。003は休ませる。 後はとにかく僕達で…」

(003が休む?)008は、後部座席に座る、003の様子を一瞬だけ確認した。

「…了解。緊急発進と同時にデコイ発射、006、エンジン始動と同時に至急、追跡型魚雷に敵潜水艦のデーターをインプット」
「了解アル」

「006、時間がないから5秒で処理してくれ」
「009、了解アルよ」

「発進と同時に迎撃。海底火山帯へは侵入させないように」
「了解!」
・・・・15秒・・10.9.8.7..
「ドルフィン号、発進!」
「敵潜水艦データー、インプット完了アル!」

「了解」
ドルフィン号は再びエンジンを始動させた。

「右舷40度から、速いのが2発くるぜ!!」
007が叫んだ。
エンジンを始動させる瞬間の、僅か数秒の間だけ、ドルフィン号のステルス機能はオフになる。
その数秒の間に、ドルフィン号の影を発見したBG潜水艦から放たれた魚雷が、速いスピードで向かって来ていた。

(5秒前の情報、それから敵艦の移動速度によると、この位置だな…)009は素早く、一見すると何もない、海中の一点に照準を合わせた。
「側面、魚雷発射角度を18度に設定」 

魚雷を発射させる時、砲門が開くという事は、僅かでもソナーに影が映るという事である。
むろん、こうなる事態は、009達は計算済みである。

「最初の誘導が上手くいった」 009が呟く。
「位置はほぼ間違いないようだね」 008が返答した。
「迎撃しながら、深度400まで浮上、出来るだけ敵艦の背後に移動する」
「了解。009、魚雷、安全バーは、(タイミングを計って)僕が解除する」
「了解」

ドルフィン号は、潜伏地点から急発進すると、僅か数秒のタイミングで、素早くBG潜水艦の船尾を追いかけるにして陣取ると、 追跡型魚雷を発射した。
そしてエンジン部分のプロペラを最大出力まで逆回転させると、爆発を回避するため、 敵潜水艦よりさらに後部へ猛スピードで移動した。

006 「索敵範囲拡大アル!」
007 「動き、速いぞ」
006 「すぐに見失うアル!」
005 「うむ、それはこちらも同じ」
006 「熱源追跡型魚雷、爆発音確認アル!」
007 「同時にデコイ消失」

後部座席の007と006が、すでに状況を把握しているであろう、操縦席に座る二人に伝える。

005 「破損部品確認」

ドルフィン号のソナーに、BG潜水艦の陰が、はっきりと映し出された。
外部が破損した事で、ステルス機能が効力を失ったらしい。

008 「1時の方向で潜航してる。さっきより浮上してるな」
009 「了解。設定角度変更する。深度300まで浮上。船底から追い上げる」

ドルフィン号が艦体を移動させる僅か数秒、海中が大きく揺れ、続けて爆発に伴う振動がドルフィン号に伝わった。
!!!!!
メインパネルに映る海中は、黒く濁り、潜水艦の機械の細かな破片が飛び散っていた。

009 「爆発だ!緊急回避!!」
008 「やってる!!」
008 「009、 (ソナーからBG潜水艦) 消失だ。…ふぅ…、さっきのが効いたらしいね」
009 「…了解。そのようだ」



***



戦闘中、後部座席で003は、聴覚のスイッチを切っても続く、不快な音に耐えていた。
BGの潜水艦の消失と同時に、耳を引き裂くような、強い痛みから解放された003は、身体の力が抜けたように席にもたれかかった。
視線は天井を見上げる。目がかすむわけでもなく、視点が定まらないわけでもない。
周囲の音も聞こえている。
もうしばらく座っていれば、耳の痛みも気分の悪さも治まると判断した003は、シートに身体を預けたままの姿勢で、 瞳を閉じて呼吸を整えていた。

(……?なに、この感じ…)
小さな音ではあるが、機械音に似た音が一瞬だけ聞こえた003は、急いで身体を起こすと、 ドルフィン号のソナーを確認し、同時に視聴覚を再び作動させて、海中を探った。
(…いない…)
BGの潜水艦の影は視えず、そしてソナーにも何も映らない。
あるのはただ、破壊されて粉々になった、潜水艦の部品である。

(…気のせいかしら)





「ふう、でかい潜水艦だったぜ…」
頭に汗をかいた007が、ほっと一息ついた。
「資料として、一部の機体を採取するか?」
「ああ、005、頼むよ。君の席に、アームの操作を転送する」
「うむ」

――受信中――

008が、操作の転送処理を行う間に、006の操作席のパネルには、外部からのデータを受信した点滅が出ていた。

「ん?埋め込んだ調査BOXからデータが届いたアルよ!」
006がデータ受信の信号を皆に知らせ、コクピット後部のデータ受信機の前に立った。

「BOXからの連絡は、遅いんだな…」
「急な戦闘で、こちらが上手く受信出来なかったんだろうね。こればっかりは仕方ないさ…」
伝達速度にがっかりしたように呟いた009に、008が、返事を返した。

「ふむ、先程の機械サメは…、この辺りの岩陰の海底に設置された装置から放たれたアル」
「そんなことまで分かるのか?」007が問いかけた。
「時刻と地表の振動を捉えているんだ。サメが出撃するとき、僅かに地表が揺れるだろ?自然な揺れではなく、機械的な揺れ程、 特に正確に捉えられるって訳」
操縦席の008が振り返ってそう答えた。

「あれだけの機械サメの数アル。きっと、ぎゅうぎゅう詰めになって箱に入っていたアルね」
「隙間なく箱に詰まったBG機械サメ。缶詰みたいだな……」
「好みじゃないアル……」

006と007のやり取りを背後で聞きながら、008は009に声をかけた。

「ところで、003が気分が悪いって言ってたけど…」
「ああ、それなんだけど…。あ…」

008と009が、003の様子を確認しようと振り返った時、すでに009と008の後ろに立っていた003が彼等に話しかけた。

「噂の003登場よ。私ならもう大丈夫」
「003、もう座っていなくて良いの?」

「ええ、潜水艦の消失と共に身体は楽になったの。なんだったのかしら…」
「結局、僕には最後まで聴こえなかった」
「私だけを狙ったような…、そんな感じだったわ」

「003の聴力破壊を目的とした、特殊な超音波のようなものかもしれないな…。海底では003の聴力は、ソナーの役割を果たすからね」

「いつも003を真っ先に狙うんだな…」 009が溜息混じりにそう話す。

「003の能力は、情報の源だからね。彼女がいれば、僕達は相手の情報のほとんどを知る事が出来る。003は、誰より先に視て、そして誰より先に知る事が出来るから」

「そう、それが"003”だもの。改造された私の能力」

「終わらせるためには、平和の為には、仕方ないけど…、僕は、未だに割り切れないよ。改造とか、戦闘とか…」
「009、割り切れてる奴はいないよ…平和の為に、授かった身体を犠牲にして争うしかないなんて、悲惨だけどね」

「……ところで二人とも、海中での怪我はない?」

003は海中の戦闘から帰還した二人の戦士を交互に見ていた。

「見ての通り無事さ。どこも異常なし。僕は水中活動に適しているから…ね」
「僕も、怪我はないよ」
「そう、良かった」
話しながら003は、"数分前の音”の事を二人に話しておくべきか迷っていた。

「009、これからだけど、自動操縦に切り替え日本近海まで潜航し、暗くなってから海中からTAKE・OFFしようと思うんだ」
「了解。連絡は?」
「沖縄近海になったら、ギルモア研究所に特殊暗号で連絡。それでOK?」
「OK」

009は、不審な物は何も映らなくなったソナーを、眺めていた。

「003、破壊後だけど…なにか気にならなかった?」
この問いかけで003は、最後に聴こえた音について二人に話す気になった。

「実は…、その事なんだけど…私の誤聞かもしれないけど…。それにあの時…聴覚のスイッチは切っていたはずだから…」
「それ、聞かせてくれる?」

「機械の部品が外れるような音が一瞬だけ聞こえたの。それでソナーを確認して、視聴覚のスイッチを入れたわ。 でも、辺りに異常な影は無かった」

(あの潜水艦を操縦していたのは、全身機械のサイボーグだったのだろうか?それとも……)009は咄嗟にそう思っていた。

「確信はないけど、逃げられた…、かもしれないね。でも、いくらBGの戦闘機体が優れているとはいえ、 あの短時間で、離脱態勢に持っていけるかな…。それに爆発した機体の破片は海中に散らばっていたし…」 008が答えた。

「もしも…イワンなら…、例えばイワンのように瞬間にして物体を移動できる能力を持っているなら可能かもしれないわ…。
でもイワンのテレポテーションは、意識のない状態というのが条件、それにBG側にそういうサイボーグがいるという確信はないけど…」

「でも、いくらイワンのようなサイコキネシスが使えるサイボーグでも、今回のように大型の戦艦を一瞬で、それも僕らの隙を見て、捜索範囲外へテレポテーションさせるなんて…、例えばだけど、機体と同化でもしない限り無理だね。
うーん、でもね、機体と同化なんて考えられない。それは厳しい作業というか…、やっぱり考えられないな…」 
008が一度考えた事を否定するようにそう答えた。

「でも未来都市では、エッカーマン博士の息子さんは、同化していたわ…」
「うーん、あの時は確かに…ね。そう考えると有り得るのかな…。ねえ009、君はどう思う?」

(……それとも、なんだ?) 009は敵の顔が見えない戦闘に気持ちの悪さを感じていた。

「009?」
「…僕達の存在さえ世間ではあり得ないから…、そう考えると…ね?」

「BGなら様々な不可能な事があり得る…か」
「かもしれない。……あのさ、008。僕は席を外すけど構わないかな?何かあればすぐに戻るから」

「…ああ、構わないよ。戦闘は終わっているからね」

009は席を立つと、コクピットの自動ドアへ向かった。

「ねえ、009…、なんだか顔色が悪いわ…」
「なんでもないよ。大丈夫」

009は003の言葉に軽く微笑みを返すとコクピットを出た。


ドルフィン号内、ジョー、フランソワーズ


「どうしちゃったのかしら……」
「…辛いんだと思うよ…。人なのか、機械なのか…顔が見えない相手の存在を意識すると…ね。
もちろん機械だったとしても、僕達のように、喜怒哀楽のあるサイボーグだったとしたら…とか。 言葉が悪いかもしれないけど、そんな事を考えずに済めば、良いんだけど…」

「………」
「…彼だけじゃない、僕達には感情があるから。落ち着いてられない時もあるさ…」




***



休憩室へと続く無機質な廊下。

頭で考える前に先に手を動かせる。この身体になってからずっとだ。
頭の奥の方で、正確に計算された戦術が僕を動かす。
0013の事件の後、敵艦に出会った時もだ。
戦闘なら… 陸だって水中だって構わない。
戦闘用に造られた僕の身体は、勝つために正確に僕の指示を実行する。

サイボーグ009

この"009”の身体が―――その戦闘能力が―――僕を動かしている―――。

戦闘時、僕達はナンバーで呼び合う。
今は戦闘中なんだ!という緊迫感と士気を崩さないためだ。
そのとき僕は、この機械の身体に強さを求める。
BGの卑劣なやり方、その強靭な戦闘能力に、勝たないといけないからだ―――。

人間と機械の共存。
僕達は感情を持ったサイボーグ体……
感情があるから、様々な事を考える。
これについては、人間だった頃と変わらない。

相手の顔が見えない戦闘で、倒した敵の中には改心できるような奴もいたんじゃないか?って事とか…。
BGが戦闘に使うのは、機械やサイボーグマンだけじゃないから。
何故、BGに手を貸す人間が絶えないのか。
科学者や財力をフル活用させ、技術・話術を持ってあらゆる人間の心理を言葉巧みに利用して、 上手く人の心に入り込んで動かしているのは許せない…。
人間の精神の壁なんて、BGにかかれば簡単に崩されてしまう。

人の欲望がもたらす思いは、何故そうもたやすく悪に染まるのか。
戦闘とは無縁の人間が巻き込まれ、今まで何人の命が犠牲になった!?
僕の周りだって…、神父様や……、それから…、僕のせいで大切な友人までもが…。

ロクな事がない…。

終わらせるんだ。

この身体を使って、BGを倒せるのなら、いや倒さなくちゃいけない。
僕の手で必ず終わらせる!
  




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