「Give me a little smile」
written by みさやんさま








<7>





ドルフィン号は沖縄近郊に近付きつつあった。

「あと30分で目的ポイントだ」
008が振り返った。


007 「さて、研究所まであと少し、そろそろ男子厨房に入るべし!」
006 「あいや〜?もうお腹すいたアルか?」
007 「もうって、朝、肉マン食っただけじゃ腹も減るよ」
006 「ああ!そういえばそうアルね…。では、小籠包でも作るアル」
007 「小籠包?また肉マンか〜?うーん…」
006 「ほな、何が食べたいアルか?」
007 「我輩はアッサリとしたもので良いよ。例えばスープとかでも…」
006 「ほな、鱶鰭でも…」
007 「良いね〜、フカヒレスープ!」
006 「さっきのサメのアルよ。海中から鰭の部分を採取してるアルね」

007 「は?::::」
006 「冗談アル!」 笑。

006と007が会話しながら席を立とうとした時である。
比較的ゆっくりとしたスピードで移動するドルフィン号のフロントガラスに、だんだんと白い海底が飛び込んできた。

「…白化現象?!この辺りがこんな事になっていたなんて…」
008の呟きにコクピット内の全員が彼を見た。
目の前に広がる白いゴロゴロとした尖った珊瑚の死骸に彼は言葉を無くした。

「…凄い数だな。地球温暖化の犠牲者だな…」
007は悲嘆した思いで、海中を見つめる。


***


ドルフィン号の休憩室―――。
009は窓から見える、息絶えた「ゆりかご」の光景を見ていた。
彼は息を深く漏らすと、壁に寄りかかり、持っていた木彫りの兎を傍のコーヒーポットの横に置いた。

「ずっと、ここにいたんだ」
009は、自動ドアが開く音と共に聞こえてきた003の声に、振り向いた。

「あの…、もしかしてどこか具合が悪いんじゃないかと思って…」

003は不機嫌そうな表情で壁に寄りかかり、窓の外を見る009に話しかけた。

「………」
「…お邪魔だったかしら…」

彼を心配して、この場所に来た事に後悔した003の声が少し小さくなる。

「いや…、僕なら大丈夫…。…それより死滅している…」
「え?」

003は、窓の外に広がる白いゴロゴロとした尖った珊瑚の死骸を見て驚いた。

「珊瑚が死んでしまって、魚も一匹もいないわ…」
「人は温暖化を止めようと努力しているけど、追いつかないんだね。 起きてしまった破壊を再生するためには、長い年月がかかる」

「破壊…」

この辺りの海が再生するのに、あと何年かかるのだろう…。
そう思いながら、003は窓の向こうの光景を見ていた。
やがて、僅かに生きている珊瑚が見えて来た。全滅というわけでなないらしい。
そして、生きている珊瑚は徐々に増え初め、やがて海中にピンク色の小さな玉が浮かぶ光景が広がった。

「なに…かしら?」

ドルフィン号は、急に速度を弱めると、海底に停泊した。
コクピットの方でも、この光景に気がついたらしい。

009は、窓ガラスに手を置いて、その幻想的な景色に眼を見張った。
ドルフィン号が停泊して数分…、海中には、ピンク色の小さな珊瑚の卵が一斉に吹き出したのである。
それはドルフィン号のライトと、月明かり照らされ、瞬く間にピンクの水玉の海に―――。


「もしかして…珊瑚の卵かしら?」
「だよね…」

二人は同時に窓ガラスの前に立ったまま、顔を見合わせた。


ジョー、フランソワーズ



「すごいや!!」
「ええ、ほんと……」
二人が並んで窓の外の光景に見入る中、艦内放送が入った。




「あ〜〜あ〜〜オッホン!009、003、それぞれ何処にいるのかは知らんが、窓の外を見てごらん!」
「すごいアルよ〜〜。生命の神秘アル!!」


興奮した006が007の艦内放送に割り込んでいるらしい。

「おわっ!!こら張々湖、我輩のマイクを取るでない!…え〜〜……気を取り直して……オッホン!!
さあ諸君、この素晴らしい命の営みを、自然が生み出すファンタジーショーを、ぜひとも見てくれたまえ! 逃すでないぞ〜!以上!」




「もう見てるよね!」
芝居がかった007の艦内放送にウケた009が隣の彼女にそう話しかけた。

「ふーん。…今夜は満月だったのね。珊瑚の産卵。幻想的で綺麗だわ」
「満月の日に産卵するの?」
「水族館の珊瑚も、そうらしいわよ」
「水槽の中なのになんで分かるんだろう…」
「…生命って…不思議ね…」

009は、窓の外を見たままでゆっくりとそう話す、003の横顔を見つめた。
戦闘中に見た彼女の表情は何処にもない。


優しい瞳。
そして穏やかな表情。
柔らかいこの場の空気。


「うん。生命って…不思議だね」


「空っぽの場所に息吹を与えるのは、小さなキッカケなのかも…」
「…え?…」
「…あの時…、もしも改造手術に失敗して、そのまま死んでいたら…って…、009は思ったことはない?」

そのまま死んでいたら…、という言葉が出た事に、009は多少驚いたが、003の表情は変わらない。
心の中で自然と湧いて出た事が、言葉となって表に出ただけだろう。

「…あるよ」

少し間をおいて、穏やかな声で009はそう返事を返した。
会話の内容とは反して、場の空気は柔らかい。

「あの…突然、こんな話してごめんなさい」
「構わないよ。続けて、フランソワーズ」

フランソワーズはドキリとして、隣のジョーを見た。
名前で呼ばれた事に、防護服は着ていても、もうここは戦場ではないと知らされた気がした。
瞳の先は、ジョーの肩の辺り。赤い戦闘服と首の黄色いマフラーが、視界に飛び込んでくる。

「…誰かに話す事で、多少は楽になるかもしれない」

フランソワーズは、そう話すジョーの口元から、瞳に視線を移した。
ジョーの視線は窓の外の珊瑚ではなく、自分を見ている。
いつから見ていたのだろう?
戦闘中には見せない、穏やかで優しい瞳に、心の中の暗い部分を見透かされたようである。
この場には会話を受け入れる空気があり、それはフランソワーズの気持ちを自然と素直にさせる。


「…私のすべては、バレエに打ち込めた日々や、兄さんとの暮らし、友人の事、パリの街並み…、その頃の事をすべて記憶していて…諦めた夢とか、思い出とか…、そんな過去の事が頭の中から消えてしまったら、どんなに楽か…って思う事があって…」

「うん」

「だけど、そういう事を忘れていないからこそ、私は人でいられるんだとも思う。でも、今の自分は昔の私ではない。
この能力だって…、ほんとは嫌いよ…。どうしようもない事なのに、自分の身に起きた事実を…未だ消化出来ていないの…。 生きていく希望を…、小さなキッカケで良いのに…、いまだにこの身体に見出せない。だけど、現実では必死でBGと向き合っている。
平和のために!って言い聞かせながら…」

ジョーは、(…君が辛いのは、知っていた)という言葉を飲み込んだ。

「…こうなった自分の運命を憎んでいて…、今の私は、どうしたってあの時の私に戻れないって思って…。
記憶があるからこそ、余計に辛くなるわ。とめどもなく溢れてくる記憶を、無理に殺している時、私は、一度死んだ。と思う事にしていたの。 その方が、楽だったから……」

「現実を見ないようにした方が、楽だからね。…そう思ってしまうのは仕方ないよ」

「皆…辛いのにね…。私だけじゃないのにね、ジョーだって…」

「僕は…急な変化には慣れてるんだ。僕の過去はある程度は博士から聞いてる?…よね。…僕は…環境の変化も含めて…、生まれた時からそんなのばかりだったから。だから自分の身に起きる、ある程度の酷い事態には免疫があって…」

「…ジョー」
「君に比べたら、僕の今の辛さはそれ程でもないのかもしれない…。昔の方が酷かった気もするし…」
「…そんな!」

「否定も嘘もない、過去のすべてが事実であり、この身体のすべてが現実だよ」
「…それは、分かってる…」

「それに僕は…、実のところ今の方が一人じゃないんだ。…帰る場所があって、信頼出来る仲間もいて…。僕は、一人戦っているわけじゃない。 正直言って…、なんとかやれるかな?って気持ちもある。でもこれって普通じゃない…。皆、過去を懐かしがって、戻りたいのにね。
僕は、過去の自分の周囲を取り巻いていた現実には戻りたくないような、そんな気がして…。普通じゃない感情なのは、分かっているんだけどね…」


どうしようもない逆境の中で、それでも生きていかなければならない時、人それぞれ様々な乗り越え方がある。
辛い状況下で、精神的に少しでも楽になれる言葉や、場所、誰か、どこかに自分の精神的よりどころを見つけようとするからだ。
それはストレスをコントロールしようとする人間の本能なのだろうか。と、ジョーは思う。


「辛いとは思うけど…、心のバランスの問題かもしれない。
時折、心の底からどうしようもなく湧きあがってくる、その闇の部分をどうコントロールするか…かな」

フランソワーズは、(ジョーは、私よりたくさんの辛い現実を乗り越えてきたんだわ…)と、感じながら話を聞いていた。

「…バランスを保つのは難しいけど、そうしないと壊れそうね…」

「強くないから…。自分の弱い部分を認めているんだ。精神的に辛くなった時、自分がいま余裕のある状態か、そうでないかをまず考えてる。
もしも余裕があれば、客観的に自分を見れる。自分が誰かになって、沈んでいる僕を見ている。…そんなイメージかな…」

(自分の弱い部分を認める事や、現実を見つめる事は…強さに繋がるわ…)
フランソワーズには、目の前のジョーが自分より精神的に大人びた存在に思えてならなかった。

窓の外では珊瑚の産卵が終わっていた。

新しく生まれた小さな命のカプセルは、その可能性をピンクの薄い殻の中に秘め、安息の地を求めて、ゆらゆらと暗い海の中を漂う。やがて終息の地にたどり着き、そこに根を下ろす。

「なんだか、暗い話ししか出来なくて悪いね…」
 
そう言いながら、ジョーはフランソワーズから視線を外し、また海中に視線を移した。

(もしジェットなら…、君と同時期に改造された彼なら…、君になんて言ってあげるんだろう…。冗談とか言いながら、もっと明るく会話 するのかな…) ジョーの脳裏にふとジェットの笑顔が浮かんだ。


「昔、バレエの先生にもよく言われたわ。……誰かに見られている自分を想像して、こうやってポーズをとる…」
(バランス、バランス……)フランソワーズは窓ガラスに映る自分を見ながら、呼吸を整えると、ポーズをとった。

「身体が、柔らかいんだね」
「これは、アティチュードよ」
フランソワーズは、ストンと身体を元に戻す。

「…男性の手を持って、パートナーに支えられて踊る時もあるわ。二人の呼吸が合ってないと上手く踊れないの」
  フランソワーズは、懐かしい瞳で窓の外を見つめながらそう話す。

「心の中もバレエと同じなのかも…。ジョーが言うように、バランスが崩れると…立ってられなくなる」
「………」

「…心を、毎日一定に保つのは難しいわね…」
「そうだね…」
「ジョー…、ジョーと話せて良かったわ、ありがとう。ところで私、もともとは、あなたを心配して此処に来たのに…、逆に励まされちゃったわ」
「…そうだっけ?」
「…そうよ」

再び機内アナウンスが流れた。



「艦内メンバーに告ぐ。目的ポイントまで後3分弱。ドルフィン号はこれより浮上準備に入る。
コクピット外の二人は…、えっと、戻るならそれで良いんだけど、戻らないなら、近くの安全ベルトを装着するように。 操縦席ピュンマでした!以上。……あっ!グレート!…」

「あ〜あ〜、Ladies and Gentleman!!
ギルモア研究所までのフライト時間は約一時間。これよりドルフィン号は、離水体制に入ります。 機長はピュンマ君。副機長はわたくしグレ〜〜ト・ブリテン!」

「グレート、普通に放送してくれよ…」 ←(ボソリ…)
「まあ、良いではないか。遊び心は大事だよ」



機内放送と同時に機体速度が徐々に速くなり、空へと向かい離水出力になったエンジンの振動が、僅かに足元から伝わって来ていた。

「グレートのやつ、またやってるよ…」
「ほんとね…」
二人は顔を見合わせてくすくす笑った。

ジョーは身体に離水前のG(ジー)を感じ、フランソワーズに話しかけた。
「君はそろそろ座ったほうがいい」
「ええ、ほんと…(ね)」

そういい終わらないうちに機体が大きく右に揺れさらに60度ほど傾いた。

「きゃっ!」
急な揺れにフランソワーズは、隣にいたジョーにしがみつき、二人の身体はそのまま壁にドスンと倒れ込んだ。
ほどなくして、艦内放送が入った。



「…ピュンマです。二人とも、怪我はない?何処にいるのか知らないけど、もう離水するよ。ベルト締めてる?よね。 今のは、急に飛び出してきたイルカを避けたんだ。 驚かせて悪かった。
では気を取り直して!…… チェック・オールグリーン! クリア・ウェイ、 ドルフィン号、TAKE・OFF!」



機体は水面に沿って平行を取り戻すと、空中へと飛び立つ角度に入った。

「イルカがいたようね…」
「そうだね…、イルカは好奇心が旺盛だからな」

壁に当たった時にフランソワーズの背中に回された、ジョーの腕の力は弱まらない。

「あの…、つかまってごめんなさい…」
「…いいよ。それよりどこも痛くない?」
「…うん、ジョーは?」
「背中を打ったけど、大丈夫」

「いま、移動するわ…。あ…、ぁ…」

フランソワーズは席に移動しようとしたが、ドルフィン号の上昇角度、スピード、身体にかかるGで上手く席まで移動出来ない。フランソワーズは、すぐにジョーのもとへ戻ってきた。

「…ちょっと厳しいわ」
「…みたいだね。いつもよりスピードが出てるようだから。…あと数十秒で平行飛行になるよ」
「…うん」

二人は同時に窓を見た。機内の明かりと、暗い夜空が、自分達の姿を窓ガラスに映し出す。
ドルフィン号はとっくに離水している。機体は安全飛行高度へと向かっている。
やがて室内の壁に設置されたパネルが、安全高度を示し、シートベルト装着の点灯が消えた。
上空の天気は良好。
成層圏に浮かぶ月と星が見えている。
ジョーは、フランソワーズの背中に回していた腕を離した。

「平行飛行に入った。さて、"安全ベルト”の役目は終わり」
「安全ベルト…」
「…意味なかった気もするけど、一応ね」

…なんだろう…この感じ…。ジョーの傍って…なんだか居心地が良いような…、そんな気がする…。

「なかなか良かったわ。またよろしくね」
「…えっ。また?」

しばらくの間、二人は視線を合わせたまま、はにかむように微笑んでいた。






Give me a little smile 〜海底の刺客〜


Fin




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