「EVERY BREATH YOU TAKE」
     written by みさやんさま






<7>



パリから車で約二時間の距離にあるフランス北西部の某地方都市。
降り続いていた雨が止み、雨雲の隙間からは、太陽の光が大地へと届き始め、その街は少しだけ明るさを取り戻す。
ローラン親子の自宅は、マリア・ローラン病院から車で15分ほどの距離にあった。
病院が比較的賑やかな市街地にあるのに比べ、この辺りは新しい住宅ばかりが立ち並び、まだ空き地も多い。
ジョーは、ローラン家の前の駐車スペースに車を停め、インターホンを鳴らした。

「…はい」

中から女性の声が応答する。

「島村と、それからアルヌールです」
「ああ、島村君。今、ドアを開けるから入って。そのまま突き当たりを左に曲がって、リビングの本棚の前で待ってて。私、いま手が離せないの…」

マリアの声の奥では、インターホン越しにステンレスがぶつかる様な、カチャカチャという音が聞こえていた。

「…分かりました、マリアさん」
「悪いわね、父は部屋にいるから」
「はい」
ガチャリ…。
しばらくして開錠する小さな音が聞こえ、ジョーとフランソワーズは家の中に入った。

「…お邪魔します」

玄関の扉を開けると、クリーム色の空間に置かれたクリスマスツリーが二人を出迎えていた。
素焼きのタイルの床を進み、言われた通りにリビングにある本棚の前で足を止め、ジョーは室内を見渡す。
ギルモア博士から聞いていた通り、外見はいたって普通の民家である。
現代風の暖炉の上にある飾り棚には、家族の写真、そして木彫りのサンタクロースが置いてある。
フランソワーズは、暖炉の前のソファーの前のテーブルに、HEDIARDの紙袋を置いた。
窓の外から子供の遊び声が聞こえる。
フランソワーズは、曇り空の下でも元気に遊ぶ楽しげなその声に、ふと窓を見た。
雨粒が残る湿った芝生の上を、二人の男の子が追いかけっこをして遊んでいる。
一方が時折木の影に隠れては、相手の反応をこっそりと見ている。
そして相手に見つけて貰うと、また追いかけっこが始まる。

「ふふ、元気ね」

フランソワーズと視線が合ったジョーは、ふっと微笑んだ。



「…玄関まで出れなくてごめんなさい、さっき帰って来たばかりなの。着替えようとしてて…」

ジョーとフランソワーズがその声に振り向くと、白衣姿のマリア・ローランが暖炉の前に立っていた。
マリアは、右手にスーパー・ガンを持っている。

「マリアさんが何故、それを?」
フランソワーズは、マリアがそれを持っていたことに驚き、問いかけた。

「…スーパーガンのことかしら?」
「はい…」
「これは…、もしものときのため」

マリアは、フランソワーズの思い詰めたような表情をしばらく見つめた後、話を続けた。

「…その為にこれを持つのは、どうかな?って私も思うわ。でも、BGが相手では…ね」

マリアの視線はフランソワーズからジョーへと移る。

「昨日は病院の中だったから、例のケースを預かっただけで、この銃の事まではお話出来なかったけど…。
このスーパー・ガンは、3週間位前に002、ジェット・リンクから受け取ったの。もちろんこれはジェットのスーパーガンではなく、ギルモア博士が、私が所持しやすいように改良してくれたの。私でも扱えるように小型軽量化されているし、持ちやすく軽いわ。
扱い方は、ジェットに数日、ここに滞在して貰って指導を受けたのよ」

ジョーの視線は、スーパーガンを持つマリアの右手へとそそがれる。






「ジェットが滞在して?」
驚いて目を見開くフランソワーズに、マリアはさらに言葉を続けた。

「あら、ギルモア博士もジェットも何も言ってなかった?」
「ええ…、数日前からジェットは故郷に帰っていましたから…。ギルモア博士も、私には何も…」
「島村君も御存知なかったの?」
「僕は、銃の事はギルモア博士から聞いていましたけど、ジェットが指導した事までは知らなかった。さっき、マリアさんが普通の表情でスーパー・ガンを持って入ってきた時は、正直、少し驚きました」
「それもそうね。この格好に銃は似合わないわ…。ちなみにこの白衣は病院で着ているのとは別よ。これは研究室に入る時のためのものなの」
「…マリアさん、そのスーパーガンは、普段から持ち歩いているのですか?」

マリアが、スーパーガンを持って出歩かないといけない事態に、フランソワーズは戸惑いを隠せない。
そんなフランソワーズの心中を察したジョーは、そっと彼女に寄り添った。
一方でマリアの様子は、冷静に落ち着いている。

「勤務中以外は持っているわ。こんなふうにして…」
マリアは、タイトスカートの裾を少し上げ、足に巻いたホルスターへとスーパー・ガンを収めて見せた。

「普段着の時、フランソワーズさんはどうしているの?」
「…スカートの時は、私もそうしてるわ」

フランソワーズの様子を見つめるジョーの様子にマリアは、彼女に話しかける…。

「フランソワーズさん…、私の事なら、心配しなくても大丈夫よ。それから自分達のせいで…、とも考えないで」
マリアは、フランソワーズの目を真っ直ぐに見てそう答えた。

「でも…」
「父の研究の事も、BGの事も、18(歳)の頃から知っているの。表向き、普通のビジネスマン、それから医療関係者を名乗り、父が非常勤講師をしていた大学の研究室へ、研究資料の高額買取のオファーが何度かあった事を、父から聞いているから…」
「18歳…」 ジョーとフランソワーズは顔を見合わせる。
「もちろん最初は、『世の中の闇』で何が起きているのか、理解しがたい事実だったわ…」
「マリアさん、9年間もの間、ビル博士も含め、命の危険にさらされた事は無かったのですか?」
「ないわ。 『闇』は、闇の世界に身を染めた者が裏切った時に襲ってくる。父からそう聞いていたから。私の父は、旨い話しの裏の世界を察していたから、何も知らない一般人として、数人の目が触れる場所を選んでビジネスライクにお断りしていたの」

少し間をおいてマリアは言葉を続ける。
「…でも、これからは分からない。近頃、変な事件が多すぎる…」

「マリア?」 マイクを通して話す低い男性の声が室内に響く。

「は〜い。『ビル博士』、今、そっちに行くわ」

マリアは、部屋の声に返事をすると、テレビのリモコンを手に取った。

「これはダミーのリモコンなの。地下に案内するわ」

マリアはそれを本棚へと向けた。
リビングの窓のカーテンが自動的に閉まり、本棚が右にずれ、壁の一部が下に下がり、壁の中からエレベーターが現れた。


***


ビル博士の地下研究室。

「昨日はすまなかった。…ギルモア君から、君達の身体の事も、遺伝子の話しもすべて聞いておる。それからマリアに渡したケースも厳重に保管させて貰った」

ビルは、杖をつきながら遺伝子ケースが保管されている場所を二人に見せた。
ジョーは、目の前に保管されている9本の試験管に視線を移す。
身体のほとんどが機械であるジョーは、複雑な気持ちでそれを見つめる。

「この家は見ての通り地上は普通の民家、地下はこういう造りになっている」

ビルは、椅子に腰掛けると、足を支えていた杖をデスクに置いた。

「ギルモア君がBGから脱出した事は、BGに不信感を抱いていた世界中の科学者の意思を団結させた。表には出さずとも、みんなBGに対しては非協力的だ」
「僕達の事は、どの程度知れ渡っているのでしょうか?」
「君達の存在を知っているのは、ごく数人の科学者だけだよ。名前と居住地のリストを渡そう」

ビルは、デスクの上に一枚の紙を置き、それをジョーに差し出した。

「これなら、ギルモア博士に見せて貰ったものと同じです。同じ方々だ」
「ふむ、ではその紙はここに置いて行きなさい。すぐに破棄するのでな」
「分かりました」

「大変な事態であり運命だが…、ギルモア君の味方は世界中におる。…もし私達に協力出来る事があれば、いつでも連絡してください。
私の研究の事はギルモア君から聞いているだろうが、それについても君達の意思を尊重するのが最優先だと考えているからね。
研究者は、自分の研究に没頭するあまり、残念ながら個々の意思の尊重についてを忘れる者がおるのは確かだ…、研究のために善悪の判断をあえて捨てる者もいる…。私は一研究者じゃが、我を忘れないようにしたい。そう思っている」

「まだ人生経験の足りない僕が言うのもなんですが…、そうあってほしいと思います」
「君達は、悲運な運命からたくさんの事を経験しているよ。…年を重ねているからと言って、人間が出来上がっているとは限らんからね」

「…ビル博士。僕達の意思を最優先に尊重するという考えは、非常に有難く思います。それから協力するというお話も感謝しています。でも…」

「でも、なにかね?」
「僕達に協力するという事は、これからは身の危険が迫る可能性が高くなるということです。今回の試験管の件以外は、これ以上の協力は頼まないつもりです」

「…そうか」

「ギルモア博士にも、日本に帰ったらそう話そうと思っています。…それに、ビル博士、足が悪いのですよね?」
「ん?ああ、足かね」
「ええ、杖をついていらっしゃいますから…」
「これは演技だよ」
「え?」
「足だが、この通り、ピンピンしておる」

ビルは、杖を置いたままその場に立ち上がると、研究所の中を歩きまわってみせた。

「島村さん、なんなら、スキップもしてみようかね?」

ビルは腰に両手を置くと、片足を上げ、スキップの態勢に入った。
マリアは、そんな父の行動を呆れ顔で見つめる。

「あの…、スキップは結構ですから…」
「ん?そうかね?ところでスキップは、運動を制御している小脳を活性化させるのに、手軽に出来る有酸素運動として…」
「父さん、スキップで腰を痛めたらどうするの?」

長くなりそうなビルの説明に、マリアが口を挟む。

「ビル博士、足が悪くないのは充分に分かりました。…でも、何のために杖を?」
「三ヶ月前から杖をついているんだがね、いざと言うときに身を守るためだよ。足が悪いのなら、遠くへ逃げられないだろうと思わせるためにね。…まあ、BGが相手では気休めにしかならんがね。ちなみに大学の頃の私は、陸上競技の短距離走で学内ベスト記録を出した事があってな…」
「父さん、そんな若い頃の話し、今では身体の状態が違うわよ」
「マリアや、私はまだ現役だよ」
「研究仲間、ほとんど老人会の運動会でしょ」
「老人会?!マリアや、筋肉の研究をしている同僚によると、私の筋肉の状態は、40歳だそうだよ!!」

「日頃から、健康管理されているんですね、ビル博士」
「適度な運動は大切だからね、ところでフランソワーズさん、さっきのスキップの説明の続きを聞きたいかね?」

ビルがフランソワーズに話しかける隣でマリアは、ジョーに話しかける。

「島村君、スーパーガンだけど、このまま足に巻いて持ち歩いても良いかどうか…、実は少し心配なのよね」
「心配?セイフティを解除しない限り、勝手に光線などは出ないけど…」
「…ジェットが、BGは男が多いからホルスターからスーパー・ガンを抜くときに、一瞬スカートから見えた足に視線が行くから隙が出来る。
その隙に逃げるか、敵を撃てって言うのよ…。でもねえ…」

確かに「でもねえ…」である。フランソワーズは、男心を利用したジェットのその小さな作戦(?)に内心呆れた。

「男の人ってそうなのかしら?」
「若い男性ならそうかもね」

マリアの返事に、フランソワーズは、チラリとジョーを見た。


ジョー、フランソワーズ


「え?僕は、そんなのには引っかかった事ないよ!」
「今まで女性のBGはいなかったものね…」
「…は?確かにそうだけど、とにかく君は、そんな目的で足にホルスター巻かないでね」
「そんな目的じゃないけど、今日は足に巻いてるわ」

フランソワーズが自分の両足へと視線を移したのにつられ、ジョーもまた彼女の両足へと、視線を移す。
ロングブーツとスカートの間から僅かに見えている肌で、今日は防護服は着ていないということも分かる。

「分かる?」 
スカートに、ホルスター等のシルエットが出ているか、いないか、という意味だ。

「いや、分からないけど…。僕は、出来れば足以外に、って思ったんだ。だけど、君が不都合を感じないなら、余計なお世話だよね」
「…つまり島村君は、「いろいろ」と心配なのよね」

マリアの見透かしたような視線に、ジョーは急に顔を真っ赤にした。

「まあ、そうですね…。でもマリアさん、僕が心配なのは、マリアさんに対してだって同じです。特にマリアさんの場合、僕達と違って実戦経験はないですし、いざという時に上手く行動出来るとは思えませんから」

「それはジェットも言ってたわ…」

「ジェットはあくまで一つの例として、さっきの隙の話をしたんだと思う。実戦は甘くないし、練習みたいにはいかない。だからマリアさんは、相手を撃つことよりも、とにかく逃げて下さい。そして、普段からなるべく一人での行動を避け、人通りの少ない路地などには入らない。 僕達は、本当なら、あなたにスーパーガンを撃って欲しくはないから」

「その事も、ジェットにも注意されてるわ。それから、なるべくこんな物は持たせたくない…、とも言われてる」

「今から返す…、という事も出来ますよ。試験管だって、スーパーガンだって。僕は、これ以上、誰も巻き込みたくはないんだ」
「島村さん、試験管の事と、スーパーガンについては、私やマリアが希望したことでもあるんだよ。そして私は、少しでもギルモア君や、君達の力になりたいと思っている」
「ビル博士…」

無言のまま数秒の時が流れ、ジョーは、二人の顔を交互に見ると、ビルへと手を差し出した。

「…では、何かあればすぐに連絡下さい。僕達はそれに応えますから」
「君達しかいないのだ。BG相手にまともに戦えるのは…」

誰かのこういう表情を見たのは初めてではない。
ギルモアもまた、ビルのような苦しみを抑えた辛い表情でジョーを見る事がある。
ビルは差し出されたジョーの手を堅く握り締め、握手を交わす。
しばらくしてマリアが、ジョーとフランソワーズに話しかけた。

「…ねえ、もうこんな時間だし、上で夕飯をごちそうするわ。実はそのつもりで、キッチンにも準備だけしてあるの」
「二人ともぜひ食べて行きなさい。人数が増えると賑やかだからね」
「…じゃあ、お夕飯ごちそうになろうかな。マリアさん、お夕飯の準備、私で良ければ手伝うわね」
「フランソワーズさん、ありがとう。キッチンへは、こっちよ」

マリアは、二つあるエレベーターのうち、キッチンへと通じる方へとフランソワーズを手招きする。

「マリアさん、私、お土産を…、さっきリビングの暖炉の前に置いたままなの。キッチンに行く前に、もう一度リビングに行けないかしら?お渡ししたいから」
「ありがとう、何かしら!」
「今日、ジョーと二人で買い物したんですけど、HEDIARDのお菓子なの」
「嬉しいわ!夕飯のあと、食べましょう。…そういえば私、パリの街へはずっと出掛けていないわ。今ならノエルの飾りつけも見れるわよね…。ねえ、二人ともデートは楽しかった?あ、今夜、パリに帰ったら、ロマンチックね♪」
「あの、マリアさん、私達、デートというか…」

「ギルモア博士から男女の組み合わせでパリに向かわせるので…、って聞いていたから、安全に泊まれる部屋とはいえ随分考えたのよ。
やっぱり素敵な部屋に泊まらせてあげたいじゃない?恋人達ですもの」

マリアは、二人に用意したパリのホテル型アパルトマン部屋を思い出している様子で、盛り上がっている。

「あの、マリアさん、僕達は恋人ではなくて…」
「ん?」
「マリアさん、…えっと、あの…、ジョーとは、そういう関係ではないの」
「ふーん、ほんと?距離が近いのになぁ…」
「距離?」
「人間にはね、友達の距離、恋人の距離、他人の距離があるの。親しいほど、その距離は近くなって、相手の気配も自然に受け入れるのよ。でも、私の勘違い?二人とも良い雰囲気なのに」

「…マリアや、そろそろ夕飯の準備に行ったらどうだね?」

ビル博士は、ジョーとフランソワーズの様子を交互に見て微笑みながら、それ以上のマリアの好奇心(詮索)を止めに入った。
マリアは、そんなビルの言葉の意味を察する。

「…ごめんなさいね。困らせるつもりはなかったのよ…」
「マリアさん、それは分かってますから、気になさらないで」
「フランソワーズさん、そう言ってくれて、ありがとう〜」
「マリアや、夕飯が出来たら呼んでおくれ」
「分かったわ、父さん」
ジョーと視線が合ったフランソワーズは、(ジョーも一緒に上に行く?)と、視線で問いかけた。
ジョーは首を横に振ると、 「後で行くよ」と、言いながら微笑んだ。



リビングに上がるエレベーターの扉が開き、マリアとフランソワーズは中へと入る。

「…フランソワーズさん、昨日の診察結果の事なんだけど、何も問題はないわ。でもね、昨日も話しように、女性の身体はストレスなどで、ホルモンバランスを壊しやすいの。だから昨日渡した、ホルモンを正常に保つ錠剤はあと一週間は飲んで頂戴ね。それと…、あなたの生殖機能は、改造による影響を受けていないわ。つまり、どういう意味か、分かる?」

「…ええ」

「戦闘では…、傷だらけになることばかりでしょう?…フランソワーズさん、身体を大切にしてね。私は女性として、あなたの事が心配だわ」
「マリアさん、心配してくれてありがとう。私なら、大丈夫よ。一人ではとても乗り越えられない時でも、仲間達がいるから…」

地下から地上にある家へと着き、扉が開く。
リビングの暖炉の火と、室内の暖かい空気は、一瞬で日常を感じさせた。

「ねえ、二人でお料理を作るのって…、なんだか楽しそうで、わくわくしない?」
「マリアさん、私も同じ事考えてたの!」

二人は、緊張が解けたように顔を見合わせた。

***

その日、ジョーとフランソワーズが、アパルトマンに帰ったのは、22時を過ぎた頃…。 リビングのテーブルに飾られた二本の薔薇は、ほんのりと甘い香りを部屋の中に漂わせていた。





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