「EVERY BREATH YOU TAKE」
     written by みさやんさま






<6>


フランソワーズは、レンタカー店から少しは離れた場所でジョーの傘を差したまま待っていた。
これから会うビル博士は、どんな人物なのだろう?
ジョーを待つ数分の間、フランソワーズはギルモア研究所の地下室での会話を思い出していた。


***

数日前、ギルモア研究所の地下室。
個人メンテナンスを終え、私服に着替えたフランソワーズにギルモアが話しかけた。

「フランソワーズ。身体の調子はどうだね?」

ギルモアは、ここ数ヶ月、フランソワーズの身体が不調を訴えていた事実を心配し、そう問いかけた。

「大丈夫です」

「たぶん自律神経の乱れからじゃと思うんじゃが、女性の身体は環境の変化に敏感じゃからの…。フランソワーズ、気がつかなくて、すまなかった。ところで、薬の効き目はどうかな?」
「ええ、博士に頂いた精神安定剤とホルモン剤が効いたんだと思います。神経回路の異常を示す値は低くなっていましたし、もう大丈夫だと思います」

フランソワーズは、身体機能をスキャンするコンピューターが弾き出したデーターの用紙を、ギルモアに手渡した。
ギルモアは数字が並んだ分析結果を、以前のデーターと比べながら診断する。
そしてそれを[003]と書かれたファイルに挟みこんだ。

「データー上は問題がないようじゃが…、身体の機能は、精神的な不調からも乱れる。何かほかに気になる症状などはないかね?」
「はい、今の所は…」
「メンバーとは、どうじゃね?正直、君だけが女性という点も、わしは心配しておったんじゃが…、何か無理している事などは?」
「ありません。かえって、私の行動が皆の負担になっていないか心配なくらいで…」
「それは全く心配せんで良い。能力を活かした行動範囲も適切なものじゃと思っとる。そして、もちろん君は大切な存在じゃからのう。わしも含め、誰も君の事をそんなふうには思っておらんよ。
…そういえば007が、君の事を、『心和ます一輪の花』と、花に例えておったわい」
「まあ、007ったら…!では、枯れ無いように気をつけますわ」
「ほっほっほ!では、わし達、男どもは「水」を忘れんようにしなくてはな…」
「まあ、博士まで…」

「ちなみに次の水当番は009じゃ」
「博士、その例えはやめて下さい。なんだか、話がややこしいですわ。それに当番だなんて…」
「当番志願者が多そうじゃな」
「もう、博士…!」
「では本題に戻すが…、フランソワーズ、さっそくで悪いが、週末パリまで飛んでくれんか?」
「…パリ?ええ、分かりました。…あの、博士と二人でですか?」
「いや、わしではなく、ジョーと一緒に行って欲しい。先程、次は009と言ったのはこの事じゃ」
「ジョーと二人で?」
「そうじゃ。急な話しで悪いが、彼にはすでに了承を得ておる」
「任務は?」
「これを、ローラン親子に渡して欲しい」

博士は9本の試験管が並んだ、シルバーの冷凍保存用のケースを彼女の前に出した。
ケースの厚さは、ビデオテープ2本程しかない小型のタイプである。

「ローラン親子?」

「ちなみに、このケースに入れて試験管を持ち運べるのは72時間。ビル・ローラン君は再生医療について研究している博士での、わしとは古くからの友人じゃ。娘の方はマリア・ローラン。産婦人科医だよ。
フランスまでの飛行機での移動時間を考えても、72時間なら余裕がある。
つまり時間的に心配はいらんのじゃが…、物が物だけに空輸は絶対に出来ん。そしてドルフィン号での移動はBGの栓索に引っかかりやすい。
つまり民間の飛行機でフランスまで移動し、そして直接、彼等に渡して欲しいんじゃ。…それからフランソワーズ。落ちついて聞いてくれ。
…この試験管は何かを説明しておく必要があるからの」

「はい…」

「…この中には君達の遺伝子の情報が入っておる。わしはBGから脱出するときに、君達のデーターはすべて持ち去る必要があった。二度と君達のようなサイボーグをBGに造らせないためじゃ」

「!!!」

「そうじゃ、フランソワーズ。BGは君達を改造する前に、まだ人間だった君達の皮膚の一部を保管したんじゃ」

「皮膚を…」

「すでに分かっていると思うが、サイボーグ手術には適合、不適合がある。どんな人間でも良いかと言うとそれは違う。 いくら優れた才能のある、そして運動能力の高い人間を改造したところで、機械の部分を身体(脳)が受け入れなければ、それは失敗なんじゃ。
すべての筋肉や臓器は、脳の神経伝達回路が電子信号として身体の全機能に指示を出しておるからな。
つまり君達はある意味、偶然にも改造部分が生体部分に順応したサイボーグ。いわば手術に成功した優秀なサイボーグなんじゃ。
BGが、短時間で何体も、そういった意味で優秀なサイボーグを造るためには、成功した人間のデータ、遺伝子レベルでのデーターが必要でな……」

「……博士……」

フランソワーズは思わず涙ぐむ。

「すまない…。フランソワーズ…、泣かせるつもりはなかったんじゃが…」



フランソワーズ


  ギルモアは話を中断すると、白衣のポケットから、皺(シワ)のついたハンカチをそっと差し出した。

「博士のお気持ちは分かっています…。続けてください」

ギルモアはあくまで研究者としてそう説明しただけで、その心の内には人間的な血が流れている。
フランソワーズは、ハンカチを受け取ると、涙を拭きそう答えた。

「……いや、話は止めじゃ。BGのサイボーグ体の量産の事など、話さなくても良いことじゃよ。…すまなかったな。この身体を一番嫌っているはずの君にこんな話をしてしまって…」
「…いいえ、博士…」
「…許しておくれ…」

フランソワーズは、皺の残るハンカチを見つめながら、脳裏で今までの日々を振り返る。

「…君達は、子供のいないわしにとっては我が子同然なんじゃ。しかし我が子としては、年齢的に無理がある。孫…じゃな。そんな君達に辛い思いを させてしまったわしが今更じゃ…」
「孫。…私達は父親のように思っていますわ、ギルモア博士」
「こんな老いぼれ爺をか?」
「もちろん」
フランソワーズは、真っ直ぐにギルモアを見つめる。
「…わしは、君達の幸せを願っておる。君達をこんな酷い世界に引きずり込んだわしが言うのもなんじゃが…。
君達の手で、この世界が平和になったら、その時は自分達の幸せを真っ先に考えて欲しい。そして仲間との絆を感じながら、強く生きて欲しい。
出来る事なら愛する人と平和に暮らして欲しい。わしはそう望む…。しかしながら、すべてはBGを倒してから…なんじゃ…」

溜息混じりに辛辣な表情でそう話すギルモアを、フランソワーズはそっと見守る。

「…わしは研究の為に、君達の遺伝子をローラン親子に渡すわけではない。今後、このギルモア研究所が狙われた時に、君達が君達を失わないためじゃ」
「…人口皮膚の今となっては…、正直、複雑な気持ちです…」
「そうじゃろうな…」
「私は生身の部分が多いですが、身体を包むこの皮膚は、戦闘にも耐えられるように強化されていますから…、再生医療を研究なさっているビル博士が、たとえば私の臓器や皮膚の再生に成功したとしても…、どうするか…」
「今は考えられない事じゃろう…。それに現時点では、ビル博士の再生医療技術が成功しているわけではない。それにビル君の寿命もあるでな…」
「博士は、ローラン親子に、私達の遺伝子を渡すことで、試験管の安全な保存先と、それからビル博士の研究についても期待しているのですよね?」

「…そうじゃ…。しかし、再生に成功した臓器を求めるかどうかを決めるのは君達じゃ。現段階では、DNAから臓器を作り出す段階にまでは到達しておらん。
そしてビル君の研究が、今後成功するかも分からん。
わしは世界が平和になった時のために、あくまで君達に選択肢を残しておきたかったんじゃ。
もしも研究が成功し、DNA細胞から人体機能のすべてを再生させる事が出来れば…、君達の選択肢は広がる」

「…それは…生身の人間に戻れるかもしれない。…と言うことなんですか?」

「早い話、その可能性と選択肢を残せれば…と思う。実はわしは…、持ちだした試験管遺伝子を何度も破棄しようと考えた。
サイボーグになった君達に新たな悩みを増やしたくなかったからじゃ。
しかし…、戦闘で傷つく君達を何度も目にし、そして平和な未来への可能性を、平和に対しての望みを考えたとき、これを破棄するのは君達各個人の判断だと気がついた。低い可能性で技術が成功し、確立されたとしても、それを求めるかどうかは君達個人の判断じゃと…。
もちろん試験管を破棄したいなら、個人の判断でそうすれば良い。各メンバーには、すでにローラン親子の連絡場所も教えてあるし、それに、この試験管は指紋が一致しない限り、蓋が開かない様に細工してある」

「…ジョーや、皆はこの事も知っているのですか?」
「もちろんじゃ。他のメンバーも後日、それぞれが順番にローラン親子に会いに行くと言っておる。
今回の人選じゃが…、アルベルトが皆の意見を取り入れた結果、最小人数で内密に動くには、現場の状況判断能力に優れた003と、最も戦闘能力の高い009が適任だ、と言って来たのじゃ。BGが突然襲撃して来たらこの研究所はあっという間に火の海じゃ。人間であるわしは寿命の事もあるし、君達よりも命をおとしやすい。……突然の話しで悪かったが、話せるうちに話しておこうと思ってな」

「分かりました、博士」

「パリでの滞在日数は三日間。君も知っての通り、数日前から各メンバーは順番に故郷に帰っておる。ずっと戦闘続きじゃったから、僅かでも皆を休ませたくてな…。パリは君の故郷じゃ。滞在中、一日目は、遺伝子を手渡す任務があるが、残りの二日間は自由にしておいで」

「自由に、ですか」

「ちなみに宿はわしが手配してある。ビルの娘、マリアが安全な宿を幾つか教えてくれての。わしが選んだんじゃが、部屋が二つあるアパルトマンじゃ。鍵は一つじゃが、一階と二階に部屋があっての、ちゃんとベッドも二つある。ゆっくり休めるはずじゃ」
「有難うございます。ところで…、マリア・ローランさんはどんな病院にお勤めなのですか?」
「マリア・ローラン病院は普通の産婦人科じゃよ。内科もやっている。そして、ビル君の研究室は主に自宅の方にある。
わしがBGから逃げ出した頃に、アメリカのキューブリック博士の協力で、こっそり自宅研究室を改造したようじゃ」

「今回、試験管を預ける事で、彼等に危険はないですか?」

「うむ…。100%安全とは言いがたいが、キューブリック君の協力で自宅からの安全な逃げ道は確保してある。それから緊急時には直接イワンと連絡が取れるよう、腕時計型の機械を渡してある。暗号は、BGに見つからないようにしてあっての、イワンの睡眠の周期も彼等は知っておる」

ギルモアは、試験管の入ったケースを元の場所にしまうと、暗証番号を押し鍵をかけた。

「…フランソワーズ、本当にすまんの…」
「いえ、博士も充分に考えた結果で、大変な思いをなさっていますもの…。二日目からの休暇、ありがたく頂きますわ」
「…最後にフランソワーズ。もしマリア医師と気が合うようなら…、一度自分の健康状態を見てもらいなさい。マリア医師は君の改造手術の事も知っておるし、それに女性同士の方が相談しやすい事もあるじゃろうからの…」
「ギルモア博士、御配慮ありがとうございます。今は体調の悪さは感じないけれど…、一応、診てもらいますね…」

―――――----。


***



水溜りに映るジョーの傘の影が、雨粒にかき消されて、見えなくなる。
フランソワーズが顔を上げ、道路を走る車の流れを見た時…、ワインレッドの車が彼女の前に停まった。
窓が開き、車の中からジョーが話しかける。


ジョー、フランソワーズ


「お待たせ」
「ジョー」

フランソワーズは、傘の雨粒を落とし、車の中へと移動した。
車はマニュアル車、ステアリングのマークは、プジョーのものだった。

「プジョー?」
「うん、407クーペ」

ウインカーを出し、ミラーを確認したジョーは、車を発進させた。
フランソワーズの視線は、運転するジョーの姿から後部席へと移動する。
そこには、ジョーのジャケットが置いてあった。
フランソワーズは、鞄等の荷物をその隣に置くと、自分もコートを脱いだ。

「フランソワーズ、寒くない?」

車内の温度を気にするジョーに、フランソワーズは、「丁度いいわ」と答えると、脱いだコートを綺麗にたたみ膝の上に置いた。

「何か聞く?」
「ううん、やめとく」
「そう」

車は、パリの街中をフランス西部へ向かい走り出している。

「昨日通った葡萄畑の横のCAFE…」
「赤い屋根の?」
「そう、そこで一度休憩する?」
「任せるわ」
「じゃあ、時間みながら決めるよ」

フロントガラスに雨がつたっている。
サイドミラーについた雨、そこに映る後ろの車や、徐々に遠くなる建物、車体にあたる雨の音。
外は雨でも、自分は『中』で守られているような…、そんな感覚が好きなのだと感じる瞬間。

「フランソワーズ、なに見てるの?」

信号待ちで車を停めたジョーが、助手席のフランソワーズへと視線を移す。

「ん?…忘れていた感覚かな…」

フランソワーズは、車の窓に映るジョーに微笑んだ。





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