「EVERY BREATH YOU TAKE」
     written by みさやんさま






<5>


窓の外に見えるCAFEの入り口では、濡れた肩や髪を互いに拭き合い、視線を合わせ自然とキスを交わす男女の姿があった。
そして、そのまま肩を寄せ合い店の中へと入って行く。
その隣の店の前では、毛の長い茶色の犬を連れた若い女性が立っていた。
犬も女性も雨に濡れない位置に上手く立っている。
女性は傘を持ってはいるが、犬のことを考え雨が止むのを待っているのだろう。
飼い主を見上げ、甘えた声が今にも聞こえて来そうなその犬の表情に、フランソワーズは目を細めた。
(可愛いわね?)そう話しかけようとジョーの方を見るが、ジョーの視線は犬を見ているわけではないらしい…。
ジョーの手のアイスクリームは、今にもコーンの隅から一滴たれてきそうなくらいになっていた。
通りを見ていたジョーは、一度、腕時計を見ると、再び外を見たままである。
先程の兄の話し以降、ジョーとの会話は途切れたまま…、フランソワーズは、ジョーの様子を気にする。
何か考え事でもしているのだろうか?
フランソワーズは、前髪でよく見えないジョーの表情を、店のガラス越しに見ていた。
そんな時である。
食べるのを中断しているジョーのアイスのコーンから、最初のバニラの雫が…。

「あ!ジョー!」
「ん?」
フランソワーズの呼びかけに、すぐにジョーが振り向いた。

「溶けちゃってる!」

その声とほぼ同時に、ジョーの太ももでは、アイスクリームが白いしみをつくっていた。

「…あ!」
「考え事してたんでしょ?拭いてあげるから、早くアイス食べちゃって」

フランソワーズは鞄からティッシュを取り出すと、丁寧にそれを拭きとった。
ジョーの視線の下では、彼女のつむじが見えている。

「…ごめん。…ありがとう」
「あ…」
「あ?」

ジョーは咄嗟にアイスクリームを持つ手を見たのだが、フランソワーズの視線は、ジョーが着ているジャケットの内側の胸ポケットに挿してある二本の薔薇を見ていた。

「薔薇だわ…」
「これなんだけど、マドレーヌ寺院で貰ったんだ」

ジョーは胸のポケットから白とピンクの薔薇を取り出すと、それをフランソワーズの鞄に挿し、少しはにかんだように笑った。

「君が持ってて。このまま僕が持っていると、潰しちゃいそうだからね」
「帰ったら部屋に飾るわ。でも、寺院で貰うなんてなんだか素敵ね…」

ジョーは、鞄を膝に置き、薔薇を見ているフランソワーズの横顔を見ていた。
昨晩、キッチンで見せた落ち着いた女性の横顔とは少し違っていて、無邪気な少女のようにも思う。
昼と夜で、一人の女性の横顔が違って見えるのは、昼と夜とで自然の明るさが違うせいなんだろうか?
ジョーは、違った彼女をみつけたような気持ちになって、フランソワーズの横顔をそのまま見ていた。

「誰に貰ったの?」
「5歳の女の子」
「あら、おませさんね。デートには誘われなかった?」
「はは、そういうのじゃないから」
「またモテているアルか?、ね」
「なんだい、それ?」

フランソワーズは、ふふふと微笑む。

「張大人の口癖よ」
「え、そうだったの?」
「ジョーのいない所で言ってる。厨房とかね」
「厨房?」

ジョーは、張々湖飯店で数回、ホールスタッフとして手伝った事を思い出す。

「女性にそんなにモテた覚えはないんだけどな…」

アイスクリームを食べ終わっても雨はまだ止んでいなかったが、多少は小降りになったようだ。

「フランソワーズ、そろそろ出ようか?」
「うん」

ジョーの呼びかけに立ち上がったフランソワーズは、店のウィンドウ越しに曇り空を見上げた。

「傘を持っていたほうが良いわね…。ちょっと待ってて」

フランソワーズは自分用の傘を購入するため、店内に再び戻ろうとした。

「僕が持っているから、いいよ」

ジョーの声が彼女を呼び止める。
そしてジョーは、先に店を出ると、そこで自分の傘を広げて見せた。

「ね?大きいから一緒に入れるよ」

ジョーは、傘を広げたままフランソワーズが自分の傘に入って来るのを待っている。

「おいで、フランワーズ」

「えっと…、では、お邪魔します…」
「うん」

フランソワーズが傘に入ると、ジョーは歩き出した。
傘からはみ出さないように、ジョーに歩調を合わせて歩くが、どうもジョーの方が自分に歩調を合わせているらしい。
ゆっくりと歩いてくれている。フランソワーズは、頭上の傘を見上げると、ジョーへと視線を移した。

「ねえ、私が横に入ると、ジョーの肩とか濡れない?」
「濡れてない。大丈夫だよ」

男性用の大きな傘に雨の雫がポツポツと当たり、軽快なリズムのように聞こえる。
時折ぶつかる、すぐ隣を歩くジョーの腕に、フランソワーズは、ふと昨晩の光景を思い出し、隣のジョーを見上げた。
そこには実年齢よりも大人びたジョーの表情がある。

(昨晩…、無邪気な顔で寝ていたのが嘘みたい…)

思えば私服のジョーと二人、並んでこうやって街中を歩くのは初めてだった。
時折すれ違う、向かいから歩いてくる女性達は、ジョーばかりを見ているようだったが、彼はそんな視線には全く気がついていないようである。

「またレンタカーを借りようと思う。でも、顔を覚えられないように今日は違う店にしようと思うんだ」
「うん…」
「今から5分ほど歩くよ?」
「うん…」


ジョー、フランソワーズ


この雨でも街中は人が多い。
人通りの多い道へ出て、すれ違う人々との距離が狭くなる。
誰かとすれ違う度にジョーは、自然とフランソワーズの肩を、自分の方へ軽く抱き寄せてくる。
ぶつからないようにするためだったが、ジョーの行動と、軽く自分の肩に添えられたジョーの手に、忘れていた淡い切なさを意識してしまう。
通りを歩く、一つの傘に入る男女は、たいていが恋人同士であることも関係しているのだろう。
傘の下の小さな空間で、男性は女性の腰や肩に手を回し、彼らは身を寄せ合って歩いている。
やがて大通りへと出て、向かいへ渡る信号を待つ間、ふと後ろを振り向くと、店のショーウィンドウに自分達の姿を見つけたフランソワーズは、信号が青に変わるほんの数分の間、ぼんやりと窓に映るその姿を眺めていた。

男性用の大きな傘。
ここにいる人達から、自分達はどう映っているのだろう?
もしかして、恋人…そんなふうに見えるのだろうか?

二人で一つの傘に入っている事実に、自然とそんな事を考えていた。
別にジョーと何か話さなくてはいけない…、という訳ではないのだが、フランソワーズは、なんとなく落ち着かない心を落ち着かせるように、自然と話題を探していた。
ピュンマとは、サッカーの話題、釣りの話は、張大人と立話していたのをたまたま見掛けた。
ジェットが数冊の雑誌を手に抱え、真剣にジョーに勧めていたのを見たこともある。(いったい何の雑誌だったのだろう?)
ジェットとジョーが話している姿は、普段からよく見掛けるが、会話に入ったことがないので、話しの内容まではよく分からない。
フランソワーズは、記憶の中のギルモア邸での日常を振り返り、ふとF1番組を熱心に見ていたジョーを思い出す。

「ジョーは、車とか好き?」

「車?そうだね、好きかな。フランス車だったら、有名なメーカーではシトロエン、プジョー、ルノー辺りだよね?」
「…うん」 (…たしか、そうよね)

信号が青に変わり、再び二人は歩き出す。

「特にどのメーカーが好きってのはないかな…」
「そう、だったらレンタカー、どのメーカーでも良さそうね」
「あ、レンタカーなんだけど、晴れてて寒くなかったら、オープンカーにしようと思ってたんだ。でも、パリって寒いね。それにこの天気の悪さだと無理だなあ」
「この時期は寒いのよね、それに、夕方には真っ暗だわ」
「そうだね、ほんと予想していたよりも寒いや」
「でも、オープンカーって気持ち良いわよね。残念だわ」

「…じゃあ、今度、もっと暖かい晴れてる日に、日本でどう?」
「来年?」
「そうだね、これから冬だしね」
「春かしらね?」
「春かな」

フランソワーズは、傘の向こうの曇り空を見上げる。
予定なんて、私達にとっては確約の無い約束。
でも、未来へ繋がる選択肢を選んでいる時間は、とても楽しい。

「ねえ、…明日の予定は?」
「明日なんだけどさ、さっきも考えてたんだけど、丸一日フリーだから、君のお兄さんを探しに出掛けてもいいし、それは君が決めれば良いよ」
「さっきって、さっき?」
「そう、僕がアイスを溢したとき、食べ物こぼして、それで拭いて貰うなんて、子供みたいだった」

恥ずかしそうに笑うジョーに、フランソワーズもまた微笑んだ。

「明日だけど、じゃあ…、ジャン兄さんと何度か出掛けた事がある場所へ、行ってみても良いかしら?」
「いいよ、出来るだけ何箇所も行ってみよう!」
「うん」

パリの雨は冷たい。
でも傘があれば、その冷たさを感じずに歩ける。

「ジョー」
「ん?」
「傘、ありがとう」
「傘?」
「うん」

可能性を信じて動いてみる、もしもダメならその時また考えれば良い、立ち止まらない限り、いつか会えると信じたい。
降りしきる雨の中、グレーの街が少しだけ明るく見える。


信号を渡り終え、三本目の路地を曲がると、数メートル先には、レンタカーを借りる店の看板が見えていた。





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