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            ハインリヒの定理
                     written by oga sama
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  「恋人どうしは互いに向い合って座るものだが、生涯の伴侶は互いに並んで座るものだ。」
  「ハイネ?」
  「いいや。アルベルト・ハインリヒ。・・・これをハインリヒの定理という。」
  "ふうん・・・"と頷いたピュンマは、聡明な黒い瞳にいたずらっぽい光をたたえて、言った。
  「せっかくの定理だけど成立しないよ。・・・あそこに反証がある。Q.E.D」
  ピュンマが指差した先には、浜辺に座るジョーとフランソワーズの姿がある。
  いつの間に波打ち際の散歩から戻ってきたものか、二人は背中合わせに座って、くつろいでいた。砂浜に敷かれたレジャーシート替わりの
  バスタオルの脇には二人の靴が無造作に、それでも仲良く同じ方向を向いている。
  波で濡らしてしまったのか、ジョーはジーンズの裾を派手にまくり上げ、小さな男の子みたいに膝小僧を出して座っていた。
  お喋りの最中、どちらかが相手の名前を呼んだときだけ、肩越しに顔を見合わせているようだ。
  ジョーの手にはペーパーバックの本があり、フランソワーズは拾ったらしい貝殻を手の中でもてあそんでいた。
  そんな二人を眺めながら、アルベルトはピュンマの指摘にはあえて応えなかった。
  「フランソワーズはああやって、ジョーの後を護っているのさ。」
  いささか剣呑なアルベルトの推論に、ピュンマは反論する言葉を捜しあぐねた。
  「ミッションの最中に、あいつの気配が変ることがある。そういう時はたいがいフランソワーズがあいつの後についているんだ。あいつは俺と
  組むどんなときでも、意識の幾分かは自分の背中に回していたものだが・・・。一番無防備になる背中の護りをフランソワーズに任せて、
  攻撃だけに意識を向けたときのジョーはおそろしく強くなる。」
  「それはフランソワーズには・・・。」
  重い負担だ・・・と言おうとしてピュンマは口をつぐんだ。
  「彼女に何かあっても・・・かならずリカバリする。実際にやってのけるだけのチカラをあいつは持っているし、そうするだけの自信と決意も
  持っている。ジョーの後についているときのフランソワーズは護っていながら護られているのさ。」
  「それって・・・すごい絆だけど・・・幸せなことなのかな。」
  「不幸せそうに見えるか?あれが。」
  ピュンマの人工視覚が砂浜に手をついたジョーの手元にフォーカスする。
  やどかりにでも見たてているのだろうか、フランソワーズがジョーの手の甲にそっと巻貝を乗せる。ジョーはペーパーバックに目をおとしたま
  ま、巻貝を乗せた手で軽くこぶしを作り、人差し指と中指をやどかりの足のようにして、作ったこぶしを前後に動かしてみせる。
  巻貝が滑りおちると、ジョーの手の"やどかりの中身"は、"宿"を探してでもいるかのように、うろうろと所在なげに砂浜を歩き出す。
  フランソワーズがもう一度巻貝をのせてやり、顔を見合わせてふたりが微笑む。
  不意にアルベルトが
  「第1の定理は反証されちまったがな、第2の定理ってやつもあるんだぜ。」
  と真剣な口調で言った。
  「第2の定理って・・・そもそもが恋人どうしとか生涯の伴侶とか、語句の定義が明瞭じゃないんだから、最初のやつだって命題としてさえ成
  立してないんじゃないの?」
  論理学の基本にきわめて忠実なピュンマのツッコミにもアルベルトは動じなかった。
  「まあ、聞けよ。」
  と言葉をつなぐ。
  「そうまで言うなら聞くけど・・・どんな定理?」
  「二世を契ったものどうしは、どんな風にも座る・・・ってやつだ。」
  "にせいを・・・"と、その東洋的な響きの言葉をくちのなかでちいさく繰り返したピュンマは、
  「生涯の伴侶との相違を明らかにするべきだね。」
  と笑ったあとで、ジョーとフランソワーズの方へ顔をむけた。
  「つまり、あれが二世をウンヌンなわけ?」
  「そう。・・・あれが二世を契った方で、お前さんとお前さんの彼女は生涯の伴侶の方だ。どうせお前さんたちは並んで座ってたクチなんだろ
  う?」
  "へ?"とピュンマの黒い瞳が丸くなった。
  「それは・・・だって・・・結婚意識してなかったといえば嘘になるけど・・・。」
  「だろ?」
  とアルベルトが得意げに言う。
  「恋人どうしの時代っていうのは、互いを見るのが精一杯だ。だから向かい合わせに座る。相手しか見えないとも言えるかな。・・・人生を
  伴にするものどうしならば、同じ未来を見る。だから並んで座る。あながちはずれているワケでもあるまい?」
  アルベルトの言葉は図星だったらしく、
  「そうかもしれないけど・・・僕らはキリマンジャロ見ながら延々喋っていただけだよ。・・・僕は酋長の息子だから手順は厄介だし・・・持参金
  はウシだし・・・でも部族のシャーマンは・・・似合いの花嫁だって・・・いやその・・・だから・・・。」
  普段の冷静さからはほど遠い口調で口篭もったピュンマは、ひとつの心あたりを探り出した。
  「そうか。君の経験則か。・・・つまりはあんな風に座った覚えがあるんだな?」
  008の凄みを効かせて答えを迫った。
  アイスブルーのターゲット・アイが楽しそうにきらめいた。アルベルトは、これ以上冷静にはなれないほどクールな004の口調で、これ以上な
  いほどに甘ったるい答えを投げつけた。
  「返事は保留だ。残念ながら俺は、座った記憶をもちあわせていないんでね。・・・いつもヒルダの膝枕だったもんでな。」
  「ちぇ。・・・悔しいけど反証不能か。」
  さして悔しそうでもない口調で言うと、ピュンマは指を四角く組み合わせて作ったフレームを砂浜の二人に向けた。
  「カシャ!」と口でシャッターを切った瞬間、海風が爽やかに吹き抜けていった。



ジョーとフランソワーズ




2008.8.08

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