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北駅は、冬の夜の帳が降りたパリの街を足早に家路へと向かうパリジャンたちと観光客でごったがえしていた。
構内を横切り、メトロに乗り換えたジョーは、シャトレでさらにメトロの1号線へと乗り換えるとふっと息をついた。
聞こえてくるフランス語の響きが懐かしい。
その響きに、望郷の想いにも似た想いをかすかに感じている自分に気が付き、ジョーは苦笑した。
いくらヨーロッパでの生活が長いとはいえ、これではどちらが母国か分からない。

凍てつくような冬の寒さが増す12月。
秋の深まりと共に今年も長かったシーズンが終わり、しばらくジョーは日本へ帰国していた。
ようやく一息つけるオフシーズンとはいえ、日本に残してきた仕事も多い。
慌しいながらも久しぶりの故郷でひと月を過ごしていたのだが、モナコで開催される表彰式に出席する予定があり、ジョーは、久しぶりのヨーロッパへと舞い戻っていた。

1ヶ月ぶりの渡欧はイギリスを経てのフライトとなり、ロンドンでスポンサー絡みの仕事2件と、雑誌社が主催する表彰式へ出席をした後、数日間の滞在を経て、空路を使わずにセント・パンクラスよりユーロスターでパリ入りをした。
3日後にはさらにパリからモナコへと発ち、この季節恒例となったモナコでのガラ――チャンピオンシップの表彰式とパーティへ出席をする。

ジョーが、ロンドン-パリの移動に陸路を使うことはほとんどない。
比較的時間に追われることもないこの時期なだけに、なんとなく思いついて、列車に乗ることを決めたのだったが、ドーバー海峡を抜け、次第に冬の闇に包まれていくピカルディ地方の風景を列車の窓から見るともなく眺めていると、この1年のことが思い出された。

今年はとても難しいシーズンで、100%のパフォーマンスが発揮できたかといえば、全てがそういうわけでもなかった。
忍耐と共に高いレベルでの集中力を要求され、チームとしての結束力が問われた1年。
ワールドチャンピオンはわずか数ポイント差で逃したが、しかし、シーズン中は固執したその争いの結果も、終わってみれば、ジョー自身もチームも不思議なくらいすんなりと受け入れていた。

"C'est la vie."

――その言葉を教えてくれたのは誰だっただろうか?
そう。――"それも人生だ"。

フランスの冬は日が落ちるのが早い。
まだ夜の5時にもなっていなかったが、パリの北駅に列車が到着する頃には、辺りはすっかり夜の帳に包まれていた。
北駅はユーロスターの到着地でもあるが、ロワシー空港へとつながるRERも乗り入れており、パリに点在する代表的な大きな駅のひとつだ。
ジョーがホームに降り立つと、周りの光景は突然フランスの香りに包まれた。

きらめく街のネオン。
賑やかで、少し騒々しい活気ある北駅……。

整然とした美しさを持つロンドンとは全く違う華やかさと都会的な街の雰囲気に、ジョーの胸は思わず疼くように高鳴った。
たった1ヶ月訪れていないだけなのに、とても懐かしく思える。

待ち合わせ場所に、シャンゼリゼ大通りを指定したのはフランソワーズだ。
ちょうどクリスマスのイルミネーションが街を彩リ出した季節ということもあってか、有名なシャンゼリゼ大通りのイルミネーションを見たいと言い出したのだった。

――シャンゼリゼ?
ええ! とてもきれいなんですって
でも、フランソワーズは毎日見ているんじゃ……
住んでいるとなかなか行かないものなの。ね、だめ?
だめじゃないけど
よかった! じゃあ、シャルルドゴールエトワールで待ち合わせね!


待ち合わせに、世界で最も有名な駅名のひとつであろうそのメトロの駅を指定した電話でのやり取りを思い出して、思わず、ジョーは笑みを洩らした。
混雑しているであろうそこで、捜せというのだろうか?
そんなことを思い出しながら、何気なくもたれていたメトロの車両の窓ガラスを見やると、そこには知らず笑みをこぼしている自分の姿が映っており、ジョーは、慌てて、笑みを引っ込めた。

メトロ1号線は、観光客に人気のスポットを多く通るため、1年中混雑することが多い。
ましてや、このクリスマスシーズンともなると、シャンゼリゼのイルミネーションを一目見ようとする人々でいつもより車内が混雑する。

次第に混雑していく車内で、ジョーは、ぼんやりと見るともなくガラスの外に目をやり、時折、ガラスの向こうにトンネルを照らす光の尾が現れては消えていくのを眺めていた。
何駅か過ぎると、シャルル・ド・ゴール・エトワール駅につく。
メトロがホームに到着すると、人々は、どっと車両から降りていった。
ジョーも、人々の後に続くようにして降りる。
そのまま、凱旋門方面への出口を上っていった。
出口へ向かう通路の途中で、バイオリンを持った若い女性がひとり、ノエルの祝う音楽を奏でていた。
パリのメトロでは時々見かける光景だ。美しい音色にふっと心が癒される気がする。

地上へ上ると、すでに夜の帳が降りたパリの街は、刺すような冬の冷気に包まれていた。
雪こそ降っていないが、冬独特の、きんと冷え込むような空気だ。
そして、目の前には、輝くばかりの美しいクリスマス・イルミネーション―――

青と白の電飾で飾られた木々が、シャンゼリゼ大通りを彩るように、ずうっと両側を、輝くように照らし出していた。

冬の夜の澄んだ空気の中で、その光の煌きは透明度を増し、漆黒の闇に美しく映えている。
そして、振り返ると、すぐ目の前には凱旋門。美しくライトアップされ、闇に、ぼんやりと浮かび上がっていた。

なんてきれいなのか。

その荘厳な光景に、思わず吐く息が真っ白になるほど気温が下がっていることも忘れ、ジョーは、息を呑んだ。

周囲は、この寒さにも関わらず、歓声を上げながら写真を撮る観光客、待ち合わせをしているパリジャンたちで、賑やかだった。
想像以上の混雑だ。
これでは、待ち合わせをするどころでは――

そう思ったとき、ジョーは、少し離れたところに、ひとりの女性を見つけた。
フランソワーズだ。

待ち合わせの時間よりもかなり早めに着いたので、自分の方が先だと思ったのに―――。

その時、フランソワーズが顔を上げた。
そして、ジョーに気がつくと、笑顔を見せる。
寒さのせいか、笑顔で見上げるフランソワーズの頬は少し上気し、吐息が、真っ白な花になって彼女の口元に咲いた。

「ジョーがこんなに早く着くとは思わなかった」

笑ってそう云う彼女に、ジョーは、自分のマフラーをはずしながら云った。

「フランソワーズこそ。寒い中待たせてごめん」

ジョーが自分のマフラーを巻いてくれようとするのを止めると、フランソワーズはマフラーを手に取り、腕を伸ばしてもう一度ジョーの首元に巻きなおした。

「今、あなたが風邪をひいたら大変なんだから」
「オフシーズンだし大丈夫だよ。フランソワーズこそ」
「私は慣れてるの。それより、私ひとりでモナコに行くなんてイヤよ?」

フランソワーズが悪戯っぽくそう云う。
ジョーは笑うとフランソワーズの手を取り、コンコルド広場方面へ向かってシャンゼリゼを歩き出した。
美しいこの大通りは、輝くばかりのイルミネーションと人だかりで、とても賑やかだった。
歩きながら、フランソワーズが楽しげにジョーの顔を覗き込んで訊ねた。

「ね、イギリスはどうだった?」
「表彰式? うーん、ああいうのは未だに苦手だけど、でも、久しぶりに知っている顔にたくさん会えて楽しかったよ。
シーズン中はいつも見てる顔だけど、ひと月見ないとなんだかちょっと懐かしいなんて思ったりもして…」
「そうなの。私も行きたかったな……」

フランソワーズがそう云うのを訊いて、ジョーはとんでもない、という表情をした。

「だめだよ。無理しちゃ」
「分かってる。だからちゃんと大人しくパリで待っていたでしょう?」

フランソワーズが拗ねて頬をふくらます。
ジョーは思わず笑った。

2年前、バレエ団を移籍してから、フランソワーズはますます忙しくなっていた。
ほとんどの公演で主役を踊り、その間に海外公演もこなす。
グランプリにもほとんどいけなくなってしまい、そのことを彼女は何よりも残念がっていたのだった。

特に、この季節は、ジョーにとってはオフシーズンだが、フランソワーズにとっては忙しいシーズンだ。
イギリスでパーティがあった日は、その翌日が彼女の舞台の初日だったため、彼女が「行く」と云い出す前に、ジョーは「僕ひとりで行くから」と断った。
無理をすればいけないこともないスケジュールだっただけに、フランソワーズのことだ、気を遣って「行く」と云いだしかねない。
…そしてその勘は当たっており、せっかくのジョーの晴れ舞台なのに、とこぼすフランソワーズに、公演が重なっていないモナコのパーティには一緒に行く約束をして、渋々、それでフランソワーズも納得をしたのだった。
バレエは集中力が大切な仕事なだけに、自分のことで無理をさせたくなかった。

シャンゼリゼを並んで歩きながらもフランソワーズはしばらく頬をふくらませていたが、ふと、何を思いついたのか、彼女が悪戯っぽい笑みを浮かべる。
イルミネーションの輝きが、彼女の瞳に映えて煌いた。

「そういえば…」
「え?」
「ネットで見たんだけど」
「ネット?」
「――私たち、"不仲"なんですって」
「…え、ええ!? どこからそんな話に……」
「さあね? なんでも、あなたの新しい彼女は資産家の娘さんだそうよ? 火のないところに煙は立たないというし…」

チラリと横目で見られ、ジョーは狼狽した。
身に覚えはない。

「私はあなたの心移りに愛想をつかして、ここ数戦、グランプリにも行ってなかったんですって」

そう云うとフランソワーズは可笑しそうに笑ったが、ジョーにとっては笑い事じゃなかった。
本当に、どこからそんな話になるんだ…。

「フランソワーズ…まさか本気にしてるんじゃ……」

うろたえながらそう云うと、フランソワーズはますます可笑しそうに云った。

「あら。本当なの?」
「まさか!」

今でも稀に、こうしたほとんど中傷のような記事がマスコミに出る。
職業柄有る程度は仕方がないとはいえ、心無い、こうした記事で傷つくのは彼女だ。
ジョーはその場に立ち止まると、つないでいた手を引き、彼女をこちらに向かせた。

「フランソワーズ、ごめん、傷つけて……」

一瞬驚いたように目を見開いた後、フランソワーズは、ふっと優しく笑った。

「――ジョー、分かってる。私は大丈夫よ……」
「でも…」
「…私ね。あなたがF1ドライバーということを受け入れようと決めた時から、何があっても動揺しないって決めてるの」
「フランソワーズ」

ジョーは一瞬言葉を切った。
…今なら、云えるだろうか?

「…フランソワーズ。しばらくモナコにいようか?」
「え?」

彼女が驚いた顔をジョーに向けた。

「ガラが終わった後も、しばらくの間、一緒に滞在したいと云ったら嫌かな?」

フランソワーズの顔が、夜目にもすっと赤くなるのが分かった。
しかし、すぐに小さな声で、

「――仕事があるからダメ」

と云うと歩き出した。
しかし、つながれた手はそのままで、ジョーは笑みをこぼした。
彼女の隣に並ぶ。

「じゃあ年明けならどう?」
「考えとく」
「約束」
「ジョー、それより……」

フランソワーズが振り向いた。
そして、ふわっと笑った。

「来年は、あなたのグランプリをもっと見に行きたいな……」

…思わず苦笑してしまう。
そう云ってくれるのは嬉しいけど、"それより"って…。

「だって、あなたのチームってとても居心地がいいの。みんな大好き。それに……パドックにいると、あなたが感じている気持ちと同じものを感じることができるような気がして……大好きなの」

真っ白な吐息の向こうで、照れたように、しかしとびっきりの笑顔を見せて彼女がそう云うのを聞いて、ジョーはますます苦笑すると、彼女の腕をとって再び歩き出した。
そんなことを云われると、もう何もいえなくなる。

フランソワーズ……、僕の生まれ故郷は遠く海の向こうだが、ここを、もうひとつの故郷のように感じていると云ったら君は笑うだろうか?
とても居心地がよくて、こうして君と同じ景色を見れるのが嬉しいのだと。

「きれいだね」

ジョーがそう云うと、フランソワーズもジョーを見上げ、花が零れ咲くように笑った。

クリスマス・イルミネーションが輝く冬のパリの街。
華やかな輝きに包まれたシャンゼリゼ大通りは、まるであたたかな光の粒が天から降り注いでいるようだった。



Fin




★オマケ★


それにしても。

と歩きながらジョーは考える。
モナコで、彼のチームクルーたちがプライベートにパーティを計画していることは、フランソワーズにはギリギリまで知らせないでおこう。
そう心に誓う。
でないと、彼女のことだ。
公式パーティもそこそこに、大喜びでそちらに行ってしまうに違いないのだから。






いやーん、らぶらぶ〜〜〜≧▽≦♪♪
『サーキット便り』は2枚目半なジョー専門てワケじゃないのだ!(笑)
Timさん、素敵なクリスマスプレゼントをありがとう〜!!
次もまたヨロシクね!ウフ♪



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