「…allo? Joeー?」
その電話はジョーからだった。
フレンチブルーの空に輝く太陽が眩しい、初夏のニース。
透明な夏空の似合うこの素敵なバカンス地に、フランソワーズは久しぶりの休暇を楽しむために訪れていた。
たったの3日間だけど彼と一緒。
ゆっくり買い物をしたり、カフェでコーヒーを飲んだり……。
都会の喧騒を離れてそうしたことを楽しむ予定だったのに、どうしてか、パリにいる時と同じようなことをしてい るのは何故なのかしら……。
しかしタメ息をついている暇があるはずもなく、フランソワーズは携帯を耳の下に挟むと、バッグの中から地図を 捜し出しながら、電話の向こうのジョーに対して少し拗ねた声を出した。
「なによ、電話する暇があったら迎えに来てくれたっていいじゃない…」
『ごめんフランソワーズ、こっちも手が離せなくて』
本当に申し訳なさそうに謝るジョーの声を聞いて、フランソワーズは笑みをこぼした。
分かってる。彼は電話をする時間を見つけるのさえ苦労しただろう。
「――もうすぐ着くわ。少しドレスに手直しをしてもらっていたの」
そう云いながらフランソワーズは買ったばかりのドレスのウエストあたりに手をやった。
さすがにプロだった。試着した時は大きすぎたウエストにかけてのラインがいまやぴったりとフランソワーズのサ
イズになっていた。
明るい南仏の夏に似合う、シャンパンゴールドのドレス。歩くとドレスの裾が膝下に涼しな波をつくり、それは夏
の透明な地中海の波を思わせる。
すらりと伸びた脚元には上品なゴールドのサテンのサンダル。やや高めのヒールは大人の印象で、それらが、まる
でひとつの絵のように、フランソワーズの女性らしい身体にぴったりとおさまっていた。
「…そうね…あと5分くらいで着くと思うわ」
道があっていることを確認したフランソワーズはバッグの中に地図を戻していたが、電話の向こうで、再度、ジョ
ーが本当にゴメンと謝る声を聞いてクスっと笑った。
そりゃ、ホテルの部屋でコーヒーを淹れていたら、旧市街地のマルシェに朝食のペッシュ・ブランシュと部屋に飾
るお花を買いに行ってくれたハズのジョーが「ロビーでマズイ人に会ってしまった」って真っ青な顔して戻ってき
たときは何事かと思ったけど。
たった3日間のプチ・バカンスだからと、フォーマルなドレスを持ってこなかったのは、そりゃ私(ともちろんジ
ョーもね)の失敗だったけど。
地図をバッグに戻し終わると、フランソワーズは電話の向こうのジョーに笑いかけた。
「勝てないわよ。あなたの大切なスポンサーさんだもの?」
『フランソワーズ―――』
何か云いたげなジョーの声に、フランソワーズはそっと微笑を浮かべた。
……こういうのも嫌じゃないのは、こういうことに、慣れちゃったせい?
素敵なドレスに出会って嬉しいせい?
ニースの街が浮かれたように陽気なせい?
それとも………
その時彼女のすぐ近くで軽くクラクションが鳴り、バッグを閉めながら何気なくそちらに目をやったフランソワー
ズは、一瞬どきっとして思わず振り返った。
抜けるような夏空に似合う、メタリック・ブルーのオープンカー。ドライバーシートに座ったフランス人の男性が
サングラスの向こうからフランソワーズに向かって軽く手を上げている。
フランソワーズの目は驚いたように見開かれたが、すぐに、彼女のブルーの瞳には笑みが浮かんだ。
彼女に明るく手を振っているのは知らない男性。解放的な街にいるとこういうことはよくある光景で、それは、挨拶
のようなもの…。
フランソワーズはくるっと一回転しながら男性に向かって笑みを返すと、同じように気軽に手を振り返す男性の姿が
視界の端に消えていくのを捉えながら、再び歩き出した。
でも、びっくりした……。
よくパリでジョーがこういうことをするから、思わずジョーかと思っちゃったじゃない……。
『…フランソワーズ?』
電話の向こうの不思議そうな声に、フランソワーズは、耳の下に挟んでいた携帯電話を左手に持ち直すと、歩きなが
ら明るい笑い声を洩らした。
「ふふ……ジョーが迎えに来てくれたかと思った」
『え?』
「でも知らない男性で残念」
『えええ!?』
電話の向こうからフランソワーズ…まさか…と情けない声が聞こえるので、フランソワーズはいよいよ笑い出した。
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